ご無沙汰である。教育らくがきを閉じてからほぼ1年。学業にいそしんでいたのか,単に都会生活を満喫しすぎて堕落をしていたのか,どうだか分からないが,とにかく時間は過ぎた。
「教育らくがき」を閉じた後,しばらくして「教育ト書き」をスタートしたが,教育についての駄文というよりは,教育の周辺でのたうち回る私の駄文という感じで,どろっとした教育駄文をお好みだった皆さんには,物足りない調子だったのかも知れない。まあ,私自身がいろいろあったんで仕方ない。
さて,だから「教育らくがき」に戻ろう,というのはまだまだ先だし,むしろ失速する一方の社会生活力を考えると,とても贅沢な駄文書きができる状況にはない。まあ,ときどき過去の片鱗を見せる程度でお許しいただければと思う。
--
今回,一度は封印した駄文を再公開することにしたのは,「記録を残す」という精神に立ち返ろうと考えたからである。ただし,「素直に」は立ち返っていないことをお許し願いたい。さすがに個人的すぎる記述の駄文も多かったので,そのようなものは除いた。それからポッドキャストの部分も別にアーカイブがあるので除くこととした。
また,ブログ化する以前の「本家・教育らくがき」は,再公開のための作業をする時間が取れないため,今しばらく封印ということになる。いずれは再公開をする予定だ。(追記:その後,こちらで公開している)
--
初めてご覧になる皆さんもいると思う。このブログは教育関連の話題を遠回りしながら考えた駄文が綴られている。正直なところ,教育関連のWebサイトとしては(長いこと続けているわりには)本当に進歩のない堂々めぐりを続け,ちょっと新しいことが分かるとナントカの一つ覚えのように喜んで語り続けるという,薄っぺらいサイトである。
それでも教育界隈のネタで飽くなき七転八倒を続けているところを「こっそり」お楽しみいただくことで成り立っている,そんなサイトである。
基本的には,皆さんの思索や批判の材料を提供することが目的であって,書いてあることからさらに先の議論へとつなげていただければと思うのであるが,それが出来た試しもないので,あんまり気にしなくてもいいかも知れない。
というわけで,相変わらず気まぐれであるのはご容赦いただき,懐かしい教育らくがきの駄文たちを「こっそり」お楽しみいただければと思う。
「教育らくがき」の最後をどんな駄文で締めようか。この間,ずっと頭の隅で考えていた。この数日だけでも,取り上げたい話題はたくさん出てきており,いつもの調子で書き綴りたかった。
皆さんはアホかと思われるかも知れないが,一つの駄文を書き上げるのにだいたい2,3時間以上をかけていた。「それだけ時間をかけて,そのレベルか」と思われるだろうが,あれこれ素材を集めて,ウラ取ったりして,それから使う部分を選んだり,必要ないもの捨てたり,言葉を選びながら書いて,読んだときの心的な影響を想像して,推敲し直したり。結構手間をかけながら駄文の落とし所を決めた産物だったりする。
駄文と称することに,ある種の意味を持たせていたのは,同じ捨て去る文章にしても,単なる走り書きではなくて,捨てられることを狙って練りながら書いていたからである。それが他の教育関連ブログとは根本的に異なるスタンスだった。
そのことを理解した上で,駄文を楽しみ,思考を巡らすきっかけに使っていただけた皆さんには,敬意を表すとともに,深く感謝する次第である。
--
私は「教育らくがき」で,そういう贅沢をしたかったのである。教育について,ずらしたところで考えを巡らしてみること。学術的な正確さや勉強不足なんてことを気にせずに,物事の本質って何だろうということを,いろんな知見を肴に考え,駄文を通して共有すること。そういう余裕を持ち続けたいという願いのもとで続いていたのだと思う。
ただ,駄文への誤解や偏見が多くなってきたことも事実。どうやら一部の人々には,そんな余裕もなくなってきているらしい。そして誰より,私自身に余裕がなくなってきたことが判明。このまま「教育らくがき」を続けるのは野暮というものだ。
--
私はあなたではないし,あなたは私ではあり得ない。だからこそ,世界は面白いのだし,コミュニケートする価値があるのだ。道筋は違っても,かかる時間が違っても,諦めないことが大事である。そのためには,逆説的だけれども,いつでもスタート地点に戻る覚悟も重要だ。
物事の終わり,それはまた,別の物事の始まりでもある。本当に感謝。
有終の美。「有終」とは「終りを全うすること」であると広辞苑にある。最後までやり通して立派な成果をあげること。そうやって終りを迎えられれば,満足感が得られ,次に繋がるということだろう。ゆく道が階段だろうと登山だろうと,そこには最上階や頂上といったゴールがあって,ひとつひとつを制覇し有終の美を飾ることこそ,人々に求められていることなのかもしれない。
悠久の時。「悠久」とは「果てしなく長く続くこと」であると広辞苑にある。終りがないとは言わないが,私たちが生きるこの世は,私たちが去った後も後世の人々によって生きられるとすれば,果てしなく続く世界なのだろう。そこには無数のひとつひとつの出来事があるとはいえ,そうした物事の総体として悠久の時が織り込まれていくのだと考えても間違いではないと思われる。
本当に力のある人は,悠久の時に思いを馳せながら,ひとつひとつの有終の美を飾れる人なのだと思う。
--
個人的な思い出話を掘り返しても仕方ないし,ご興味ないかも知れないので,私なりになるべく手短に書く。「教育らくがき」という駄文Webページを始めることになった経緯は,開始当時のインターネット上における教育関連コンテンツの少なさにあった。その不満が次第に解消され,もはや過剰な事態である。
よって本ページの当初の役目「枯れ木も山の賑わい」は終わり,教育周辺をフラフラ漂う人間の駄文記として惰性のまま続けようかというものになっていた。しかし,いよいよそのようなWebページの存続さえ「?」となった次第である。
長らく読者の皆さんはすでにおわかりと思うが,この駄文たちは,幾重もの予防線と意味付けとメタメッセージといった添加物が,たっぷりと塗りたくられながら披露されていた。ブログメディアでありながら,その特性を無視して長文を書き続けたのも,結果的には「安易なコメントお断り」を言外にまとうためであったといえる。
インターネットの歴史とほぼ重なる10余年の間,2ちゃんねるの登場やGoogleやブログの登場などによって個人発信の利便と危険が爆発的に増した。そんな時代を乗り切るために,変な知恵のようなものをつけてしまったのかもしれない。そもそも私自身はパソコン通信(アスキーネット)時代からの「ネットワーカー」である。20余年も通信生活と隣り合わせたのだから,皆さんがお読みの文章が何故こうも芝居がかった胡散臭いものであるのかは,そこから推して量っていただきたいと思うが,そんなことする必要はこれっぽっちもないことは,皆さんならもうよくおわかりのことと思う。
つまりこういうことなのだ。私が駄文上で私自身を卑下すれば,そう受け取らない人もいるだろうし,場合によっては真正直にそう信じ込む人もいるということである。こうした多少の混乱を駄文にまぶしておくことで,何か書いてあるようでいて,結局は何も書いていないという風に読ませることもできる。まじめに取り合うに値しない文章が一丁出来上がりというわけである。
そのような駄文スタイルを確立するに至る経過は,残してある過去駄文をご覧いただければ結構だが,いよいよその過去駄文を私自身のサイトから抹消し,駄文書きを「終演」しようと決意した,というのが今回のテーマである。
--
継続こそ力なり。「継続」とは「受け継いでつづけること」であると広辞苑にある。大学受験ラジオ講座(ラ講)で印象深く聞いた言葉だ。しかし,どうも私は継続派というよりは,飛躍派のようであった。「飛躍」とは「正しい順序・段階をふまず先に進むこと」であると広辞苑にある。何をどう間違ってか,先にだけは進んでしまったので,いまさらながら巻き戻し中である。
巻き戻しに半年以上の時間がかかるというのも,まあ,それはそれで恥ずかしい話だ。とにかく巻き戻ったところで,いざ再びレコーディングするにあたって,今までと同じように駄文を公開し続け,駄文を書き続けるべきか,大きな問題になったわけである。ポッドキャストで能天気にしゃべっている裏側では,いろいろ考え続けていた,と書いたら少しは格好がいいものだろうか。
そして一本の電話を機に,(別にその電話がすべてではなくきっかけとして)腹が決まった。
継続こそ力なりとも考えた「教育らくがき」という駄文書きを,次回で終わらせることにしよう。
物事の終わりは,突然やって来るものだ。
先日,国立公文書館に出かけた。大学院における授業課題として訪れたのであるが,特別展だけでなく施設全体を大変興味深く見学することができた。
文書館という施設は,国立のものだけでなく地方にも設置されているし,また大なり小なりの組織にはそれぞれ文書にまつわる業務を負った文書室といった部署が存在する。いずれも,何かしらの利用価値のもとで永続的に保管が必要な文書を管理することが役目であり,その保管対象も単なる紙だけでなく,音声テープという場合もあれば,昨今ではデジタルデータという場合も多い。
そもそも文書館という施設ができたのは,公文書の散逸を防ぐということが大きな理由である。過去に記録された文書は,その時代の証言をする歴史資料になりうる。特に公文書は国の歴史の記録であり,私たちが未来に向かって正しく歩むための貴重な記憶でもある。その記憶が,文書の処分や紛失によって消えてしまわないために,文書館という組織と関連の法律が整備され,しっかりと保管されなければならない。私たちが死んだ後にも,文書館は私たちの生きた時代を後世に伝えるために生き続けなければならない組織なのである。
それほどの重要性を担う施設であり,国のレベルで記憶を司る位置にあるのが「国立公文書館」という施設である。この施設には,国家にかかわる公文書,並びに歴史資料が厳重に保管されていると同時に,国民がその権利に基づいて閲覧することができるようなサービス機能がある。
驚くべきは,国立公文書館が設置されたのが,1971(昭和46)年だということ。国立公文書館は私と同い年であるということだ。こんな重要な施設は,私が生まれるずっと前から設置されて運営されているのだとばかり思っていたのに,そうでもなかった。しかも国立公文書館法という法律の成立は,1999(平成11)年と,ついこの間みたいな時である。そして,2001年には独立行政法人となり,御取り潰しの対象になっているというわけである。
--
物事の核心が,どこかずっとずっと遠くの向こうにあって,畏れ多いものだとばかり思っていたら,実はそうでもなくて無駄に遠回りしていたみたいな気持ちになることがある。
その遠回りは,徒労なのだろうし,端から見れば滑稽で,こいつ大丈夫なのかと懐疑さえ抱かせる。そしてたぶん,単純素朴に,その通りなのだ。
それでもその遠回りに意味があるとすれば,「その遠回りには実りがないことがわかった」という点で意味があるのではないか。いや,それはあまり本当のことではないのだが,多くの誰かにとってはそのような結論の方が都合よいのだと思う。
他の誰かにとってのことよりも,私にとっての遠回りは,実に様々な出会いと経験をもたらしてくれたという点で,とても大事なものである。褒められた道筋ではなかったとしても,私は私の遠回りに関わったすべての人物事に対して感謝するほかない。他の誰に何を言われようが,自分自身の人生として誇りに思っている。
そして,その道すがら書き綴っていた駄文が,遠回りの記憶として残っていたりする。この駄文たちも,それぞれの時期における私自身の実像や虚像などを織り交ぜ,時代に振り回されながら書き綴ったものとして,それ自体は生成され存在している。その点で,駄文自体の存在は事実である。
けれども,その存在はどこまで行くのだろう。私はその存在を維持していく事ができるだろうか。そもそも,今後も駄文を生成し続けるべきなのか。10余年の月日が流れてもなお,同じ調子で駄文を書き続ける事に,自分自身が縛られてしまっているのではないか。そのことは常に悩ましい問題だった。
--
アーカイブズの世界は紙文書だけでなく電子文書をも射程に入れ,より一層活発化している。そうした世界に触れることを通して,私自身が書き散らした駄文も(その価値があろうとなかろうと)可能な限り保管し続けることが,勝手気ままな発言をしたある種の責任として必要だと考えてきた。
しかし,そうした記録を自ら公開しておく事が,記録保管に関わるこちらの思弁も駄文執筆時の背景も推し量られる事なく,私の公式な態度表明となってしまう場合がある。それは一つ一つの駄文の内容というよりも,そうした駄文自体の公開を許容している意識態度が問題と成り得るということである。
仮に自ら公開を止めても,インターネット上にはいくらかのコピーが残存して流布し続ける。そうした残存データの存在を考えれば考えるほど,むしろオリジナルの存在意義は強まることも分かっている。だからこそ,普通の人々は余程のことがない限り,個人的感想などを含むものは匿名で書き捨て,記録データに対する責任から降りることでバランスを保っている。あるいはもっと賢い人々は,インターネット上で駄文を書き散らさない。
--
物事の終わり。それは永続的な価値を考えれば考えるほど,逆照射されて強く前面に出てくる。
世界の教育について大ざっぱに眺めていると,それはまるで椅子取りゲームか,ババ抜きでもしているように見えてくる。歴史は繰り返すというけれど,ここでは互いに他国のやり方なぞっているという風である。
特に日本は,世界の国々をキャッチアップするため,様々な形で海の向こうの先進事例を意欲的に吸収してきた歴史がある。それはある意味,見事だったし,おかげで経済大国の地位に至った。その後の迷走は悩ましいけれども。
東アジアの国々は,日本の成果を評価し,日本型教育モデルを取り込むところもあった。また,1980年代終わり頃のイギリスが行なった教育改革は,日本の教育システムを参考にしたようなものだった。自由がウリだったイギリスの教育が,ナショナルカリキュラムの導入によって画一化へと動き始めたときのことである。
一方の日本は,学習指導要領による画一的な教育内容から,より「選択」を取り入れた柔軟なものへと比重をシフトさせた。基準性を緩める動きや,受験科目選択の多様化なども起こり,自由化へと走り始める。
イギリスと日本で,隣りの芝生や花が蒼く見えたり赤く見えたりしたのか,それは互いの教育モデルを交換するような状況にも見えたものだった。
福田誠治『競争しても学力行き止まり』(朝日選書2007.10)は,今のところ最も新しいイギリス教育に関する著作であるが,福田氏が書くところによれば,かつてのイギリスの教育は今のフィンランドの教育とそっくりなのだという。(なお,福田氏は著書『競争やめたら学力世界一』でフィンランドの教育について詳しくまとめている。)
そして同書では,かつてのアメリカがモデルにしたのは日本の教育だったというような指摘をする箇所もあったりする。結局,そのような欧米諸国を,今度は社会が成熟してキャッチアップ型では立ち行かなくなってきた日本がマネ始めているという始末である。
だから,かつて日本が自分たちで実践した来た様々な教育ノウハウが,横文字の名前とともに帰ってきていることが多くなったのである。実に滑稽な状況だ。
--
なぜ私たち(特に教育研究の世界の人間)は,自分たち日本こそが源流であるはずの様々な教育的取り組みや教育的思潮について,横文字を付され逆輸入された形で論じたりするのだろうか。
それは悲しいかな,学問的な蓄積の手順が日本国内で踏まれなかったせいである。つまり,私たちにとって,かつてのそれは当たり前すぎたため,学問的な研究対象として言語化されたり,蓄積されてこなかったのである。なるほど実践記録や事例紹介はたくさん残っている。けれども,共有され再利用できる形では言語化されなかったということである。
だから,それが完全な第三者たる諸外国の研究者達によってしがらみなく理解され,欧米語による明確な言語化を経ることは,ある意味必要な過程だったといえなくもない。
こうして,日本の私たちは,海外の研究者達の整理によって,自分たちの教育実践を理解する術を得たのである。けれども,年月の流れと世代の交代もあって,それは残念ながら「再会」というより「初対面」に近い状態で受容されているというわけである。
だから,研究者コミュニティの中にも,世代間の意識格差はかなり大きくあるといっていい。そこでは,日本に源流のある様々な物事が,なぜ「昔の名前」で出てこないのかについての理解も十分共有されているとは言い難い。
--
教育や教育関連研究に対する理不尽な扱いは,そのコミュニティの一員として遺憾に思うし,憤慨もする。けれども,やはり私たちは研究世界における物事やその道理を十分伝えきれていないと思う。教育議論が生産的に展開しないのも,国のかたちとの関係で教育を考えられていないのも,その不十分さに問題の一端はある。
サイエンス・コミュニケーターといった役割の議論と同様に,学問一般についてしっかりと理解を促すコミュニケーターの役目を負う研究者人材が必要だ。
昔の名前と今の名前を結びつけて,その流れを踏まえることをしなければ,また誰かがババを引くことになり兼ねない。そういう過ちは繰り返すべきではない。
ACと聞いて思い浮かぶものは何だろう。電源アダプタか,学術ドメインか,アダルト・チルドレン?もう一つよく知られているのは,公共広告機構だろう。たまに集中してACの広告を見る機会がある。
ACの広告は毎年テーマが決まっていて,いろんなクリエータが作品を応募してつくっているわけだけども,今年のテレビCMがどんなものかご存知だろうか。テレビを見ている方は見たことがあるかも知れない。あの,印象的な曲と女性グループ,異様な着ぐるみが登場する,環境問題の広告である。なんと「NHK共同キャンペーン」なのである。ある意味ビックリだが,ある意味納得である。
そして,非常に印象的な曲なので,ずっと歌い手を気にしていた。ようやくこの頃,「Perfume」という女の子3人組であることがわかってきた。そしていよいよCDが発売されたので,どうやらそのプロモーションでマスコミ露出が多くなってきたようなのである。曲名は「ポリリズム」。
Yahoo!動画で「Perfumeスペシャル」というのをやっていて,彼女たちの過去の曲などを無料で鑑賞することができる。いやはやガールズ・テクノ?いくつかの曲は80年代的懐かしさもあって頭にこびりついてしまった。
--
古くはキャンディーズやピンク・レディーに始まり,おニャン子クラブやCoCoとか,ribbonとかなどを経て,女性アイドルも時代と共に入れ替わり立ち替わり。一方で,フォークがニューミュージックになり,グループサウンズとか,テクノとか,ポップミュージックなんかも流行り,いまじゃヒップホップとかハウスとかラップとか…,まあ時代を象徴する曲調も様変わりし続けてきた。
見るもの聞くもの,何かしら過去の何かと重ね合わせちゃえるところまでくると,とにかく眩暈できる何かがありゃいいのかなと思えてきたりもする。そういう意味で,ちょっとPerfumeというグループが唄っている曲は,現実逃避にはもってこいだなと思えたりした。
というか,ただいま現実逃避中。仕事,一向に減らない…。
いろんな行事や学習課題があって,なかなか更新まで手が回っていなかったら,いきなり安倍首相が辞任表明。そしたら,方々から「無責任野郎」とか「空気読めない奴」との声が上がり,ご本人はいよいよ体調不良で入院してしまった。
健康状態がよくないことには同情するが,それも含めて管理できてこそ政治家,そして一国の首相でしょ,という真っ当な意見を否定できるわけもなく,その辞退には美しさの欠片もない。
--
そもそも教育再生会議は,『官邸崩壊』というルポ本の中で10頁に及んで描かれているように,ひどい迷走を繰り広げていたわけだが,今回の首相辞任で継続の後ろ盾がほとんどなくなった。すでに教育基本法も教育関連3法案も可決されたのであるし,そもそも教育再生会議の設置意義さえ疑わしかった。残り火を焚くには風が強い。
その事を察知して政治家になった某室長もいたが,彼もまた傘を失って強い風に晒されるだろう。もっとも彼の流儀によれば,目立たぬように大勢に従い,任期を全うしたら,その経歴で再び教育タレントとして活躍できればよいことになる。忘れられない程度にマスコミ(特に目立たないラジオ)で露出しながら,細々と過ごすのだろう。
もしも彼が本当にそんな風に過ごしたなら,いつの日か必ず,タックス・ペイヤーとして,彼を糾弾してやりたい。講演や著作で稼ぐのは勝手だが,税金から給与もらう公人になった以上,それを覚悟すべきである。
--
合宿で京都へ行き,名古屋の実家を経由して,東京に戻る。「この頃,どうして自己否定的な駄文を書くのか?」という家族の問いに,いやあれは家族が読むことを想定した文章じゃないと解説。メタ的なずらしや煙に巻くための自演など,あれこれ混ぜ合わせて成り立っているというこのブログの性質は,身近な人ほど眉をひそめるようだ。ごめんなさい。
しばらく実時間がとられてしまう仕事や課題が続く。がんばろっと。
教育学や教育研究の分野が,世間に正当に評価されたり,活かされていないのが本当だとすれば,本来それが埋めるはずのスペースには何かあてがわれているのだろう。そんなスペースはそもそもこの国にないのか,それとも無視できるくらいに小さいのか,あるいは学問よりも有用な何かが活躍しているのだろうか。
そんなことを改めて思いながら,書店に立ち寄った。インターネットは,情報の欠片を見つけるには無限定な空間で都合がいいときもあるが,社会の姿を捉えるには外枠が曖昧すぎて役立たない。こんなときには昔も今も書店が一番である。
あらためて,学参(学習参考書など)や児童書の集まるコーナーをじっくりと探検してみた。いやはや,たとえばお受験一つとってみても,目がくらむような種類の図書が並んでいる。
--
本来,私くらいの年齢になると子どもの一人や二人いても(もちろんいなくても)不思議ではない。世間の同世代お父さんお母さんは子どもの将来を考える場面を多々持つのだろう。ちなみに私の身近にもそういう方々が結構居る。
子どもを持ち,子育てに励むその先には,避けては通れない学校教育の問題がある。いざ自分の子どもの学校を吟味するときに,必要な知識や情報とは何か。それは実のところ,教育学や教育研究ではないのだろう。そう感じたら,少しばかり憂鬱になった。欲しがられていないにもかかわらず生き残るのは,並大抵の努力じゃ済まないなと。
学参の棚には,幼稚園から小学校,そして中学・高校と,それぞれの受験に対応した「受験情報本」がズラッと並んでいる。把握できないほどではないとしても,初めて見る者は選ぶのに困ってしまうくらいある。
奥さんにそそのかされ,自分の娘の小学校受験を考えなくてはならなくなった父親のつもりで,あれこれ受験本を眺め,一冊買うことにした。具体的な学校紹介や願書の書式が収録されたような図鑑形式のものもたくさんあったが,とりあえずは小学校受験にかんする基本的な知識を得るための解説書を購入した。
--
仕事でいろんな方々とご一緒するときに,その方々が自分の子どもを事例にした話をすることがある。そういうときには,その内容を凄く注意深く聞いている。具体例が気になるのは確かだが,どちらかというと身近な事例をどの程度の距離感で捉えているのかが気になっていたりする。
ものを考えるときに,あんまりそのものと近すぎると困ってしまうからである。お世話になっている人を批判することが難しいのと同じで,距離は適当に確保しないと割り切りがつかない。
(自分自身のことはどこまでも答えが出ないし,他人とある程度の距離を取ろうとするのは,そんな直感が働いているせいかもしれない。)
この調子なら,当分は独り身で通せると思うが,人生何があるか分からないものである。もし仮に奥さんが出来て,子どもが出来たら,私は自分の子どもの教育問題に直接介入して,実践的に取組まなくてはならないことになる。ただでさえ,教育研究の無力感みたいなものを感じているにもかかわらず,結局私もまた,受験情報本こそ最大の助言者として教えを請うようになるのだろうか。
そこで,少しずつとはいえ,仮想的にそのようなジレンマに陥って,対処方法を考えてみようかと思ったのである。別に受験に役立つ教育学を開発しようというわけではない(でも市場的ニーズはあるかも知れない。家庭での「教え方」みたいな本や雑誌は,相当数出ている。下世話な話,いつかは「家庭教育らくがき」なんてブログをつくって,書籍化ねらいで文章を綴ってみるのもいいかもしれない。印税印税,はっはっはっ,ま無理だろうけど)。
個人的に,教育学や教育研究と学校教育や受験に身をさらす人間として,どう折り合いを付けていくのかを疑似体験しておくのは,悪いことではないと思うのである。
そうすると,結構増えてきた若いお父さんお母さん研究者の人たちと共通の話題で話が出来て,のけ者にされずに済みそうだから(そういう理由かよ,おい)。
--
実のところ,日本教育学会でも,こういう表出の仕方ではないけれども,教育の「個人化」による教育学の危機あるいは失敗といった問題意識があちこちに噴出していた。おそらく,それの最たるものが初日の公開シンポジウムだったのではないかと思うが,まあ,それには参加していないので推測に過ぎない。
本来は国家およびその社会の成因としての国民を育成する「社会的な営み」であった教育が,どんどん「個人的な営み」へと変わっていったのは,その国が成熟した証でもある。そして結果的に,そのことが社会の教育基盤を崩しつつあるというのもありがちな近代成熟社会の病といえる。
立て替えとしてか,あるいは補完としてか,e-learningやOCWといった新たな潮流も見え隠れしているものの,それが崩れつつある部分に届いているかといわれると,心許ない。
受験を云々出来るのは,まだ教育基盤が崩れていない層(あるいは領域や地域)でのお話だろう。多くの人々は,受験の声を聞きつつも,ごく普通に公立学校に通うことに関わる人々であり,崩れつつある教育基盤の渦中にいる人たちである。そうした渦の中で,自分の子どもの教育問題を考えるとき,どんな風景が広がっているのか。少しでもその視野を共有できたらと思うのである。
最近のコメント