「教育らくがき」の最後をどんな駄文で締めようか。この間,ずっと頭の隅で考えていた。この数日だけでも,取り上げたい話題はたくさん出てきており,いつもの調子で書き綴りたかった。
皆さんはアホかと思われるかも知れないが,一つの駄文を書き上げるのにだいたい2,3時間以上をかけていた。「それだけ時間をかけて,そのレベルか」と思われるだろうが,あれこれ素材を集めて,ウラ取ったりして,それから使う部分を選んだり,必要ないもの捨てたり,言葉を選びながら書いて,読んだときの心的な影響を想像して,推敲し直したり。結構手間をかけながら駄文の落とし所を決めた産物だったりする。
駄文と称することに,ある種の意味を持たせていたのは,同じ捨て去る文章にしても,単なる走り書きではなくて,捨てられることを狙って練りながら書いていたからである。それが他の教育関連ブログとは根本的に異なるスタンスだった。
そのことを理解した上で,駄文を楽しみ,思考を巡らすきっかけに使っていただけた皆さんには,敬意を表すとともに,深く感謝する次第である。
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私は「教育らくがき」で,そういう贅沢をしたかったのである。教育について,ずらしたところで考えを巡らしてみること。学術的な正確さや勉強不足なんてことを気にせずに,物事の本質って何だろうということを,いろんな知見を肴に考え,駄文を通して共有すること。そういう余裕を持ち続けたいという願いのもとで続いていたのだと思う。
ただ,駄文への誤解や偏見が多くなってきたことも事実。どうやら一部の人々には,そんな余裕もなくなってきているらしい。そして誰より,私自身に余裕がなくなってきたことが判明。このまま「教育らくがき」を続けるのは野暮というものだ。
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私はあなたではないし,あなたは私ではあり得ない。だからこそ,世界は面白いのだし,コミュニケートする価値があるのだ。道筋は違っても,かかる時間が違っても,諦めないことが大事である。そのためには,逆説的だけれども,いつでもスタート地点に戻る覚悟も重要だ。
物事の終わり,それはまた,別の物事の始まりでもある。本当に感謝。
「終わりの始まり」という言葉を奇しくもこの間考えておりました。
多分、一休みして、それから何かを始めなさい、ということなのでしょう。
個人的には息継ぎの暇もなく溺れかかってますが...(苦笑)
ひとまず、お疲れさまでした。
投稿情報: N | 2007年10 月30日 (火) 11:58
いつも楽しみにして、読ませていただきました。残念な気持ちもありますが、今後も何かの形で刺激を与えていただけると嬉しいです。ありがとうございました。
私も近々、自ら環境を替えようと考えております。
投稿情報: Gorotsuky | 2007年10 月30日 (火) 21:34