日常の慌ただしさならいつものことだが,先週は研究大会だ,台風だ,地震だと,なにかと賑やかで息つく暇もない日々だった。本日は非常勤担当講義を済ませたところ。ようやく平常運転か。けれども,来年度の事業計画と予算組みに頭をひねらないといけないし,予定もあれこれ。
関西方面で教員にまつわるニュースが賑やかか。スーパー教師の採用や高校段階における教員養成など。教員免許制が中教審に諮問されたこともあり,議論が沸きそうだ。ところで教員養成課程のある学部大学の統廃合はどうなっちゃったんだろう。
日常の慌ただしさならいつものことだが,先週は研究大会だ,台風だ,地震だと,なにかと賑やかで息つく暇もない日々だった。本日は非常勤担当講義を済ませたところ。ようやく平常運転か。けれども,来年度の事業計画と予算組みに頭をひねらないといけないし,予定もあれこれ。
関西方面で教員にまつわるニュースが賑やかか。スーパー教師の採用や高校段階における教員養成など。教員免許制が中教審に諮問されたこともあり,議論が沸きそうだ。ところで教員養成課程のある学部大学の統廃合はどうなっちゃったんだろう。
昨日,今日は土日にもかかわらず朝も早くから職場へ出勤。というのも,とうとう職場で入学試験が始まったのである。入試募集副委員長なんて役職をしている以上,朝は5時起きして,7時頃には職場で待機しなさいということらしい。朝苦手な私には酷な話である。
昨日は筆記試験,今日は面接試験。一人20分間の面接は,長いようで短く,短いようで長い。朝の起床から始まって,まる12時間も緊張を持続させ,ようやく帰路につく。明日は非常勤先で講義をしたら,その足で職場に向かい委員会会議。正直,一日中寝ていたいのに。
私たちがこんな滑稽な苦労をしている事情は,杉山幸丸『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ2004/720円+税)にも書かれている。現実はもっと格好悪いものだが,とにかく私はこの頃,心がふてくされている。無意識にストレス発散をするためだろうか,自分でも信じられないほど浪費癖がついてしまった。ああ。
入試は,私たちにとっても,また受験生にとっても悲喜こもごもとしたものである。私たちにしてみればこれから一緒に過ごす学生を選ぶわけだから真剣にならざるを得ないし,受験生にしても試験への不安で緊張している。だから面接の場では,思わず涙を流す子もいる。女を泣かせる場所が違うような気もするが,とにかくいよいよ今年度の入試もクライマックスに突入し,来年度の入試の準備が同時並行で始まったところだ。入試の季節,それは一年中なのである。
小さな職場に小さな「情報メディアセンター」という部署をつくり,その仕事について2年目。情報関係の対外的な窓口の役目も担うので,業者面会の機会も多い。今日は,学事システムのデモンストレーションを見せてもらった。この分野では有名なソフト。マイクロソフト社の.NET技術を活用したバージョンがこの秋に完成したというので,どれほどのものかを見極めようと思ったわけだ。
学事システムとは,学生の個人情報や授業履修,成績などの管理を担うもので,たとえば各種証明書類の発行の際にとても役立つものである。そしてこういう類のシステムに少しでも係わったことがある皆さんなら理解していただけると思うが,学事情報の管理や処理というのは,意外と複雑なのである。
学生に関する記録は,頻繁に変化する。しかもその変化の仕方は個別的で,例外のようなものも少なくない。さらに,授業履修の仕組みや履修科目の内容は,学部学科毎,取得資格毎,入学年度毎に微妙に変化する。あれは,通年で,これは半期。こちらは必修だが,あちらは選択科目,しかし旧課程の学年の場合は科目名を読み替えて処理するとか‥‥。休学退学はもちろんのこと,単位を落としたり,留年してみたり,個々の学生を管理するのは,並大抵のことではない。
●先週まで実習だった2年生が連休明けの今日から戻ってきた。さっそく後期授業を担当。疲れも知らずの元気さに呆れる。友達との再会など,嬉しかったのだろうな。さて,この娘たちとも残すところ半年である。
●注目された『週刊東洋経済』誌の特集「本当に強い大学2004」に続いて,『週刊ダイヤモンド』誌は「大学よサヨナラ 驚異の専門学校」と題した特集。一般の皆さんの目にはあまり触れない雑誌『Between』(進研アド)は毎号のように高等教育段階の荒波を扱う。10月号は特集「公立大学の岐路」である。「ピンチはチャンス」と考えれば,その機会を捉えて攻めてくるところが勝ち残るようだ。
●『文部科学広報』9/24号届く。文部科学大臣が替わる前のもの。毎年恒例で平成17年度文科省所管予算の概算要求・要望内容が掲載されている。義務教育費国庫負担金の削減が注視されているが,たとえば平成16年度の場合,この予算の概算要求・要望が予算(案)としてどのような結果となったかは,『文部科学広報』の第40号一面(PDF版)と第45号一面(JPEG版)を比較してご覧いただきたい。例の退職手当と児童手当の削減の結果である。今回,中学校教職員給与費の削減が問題となっている。さてはて,どうなるか。
昨日,台風22号が首都圏を直撃した。非常に強い台風で,東日本にとっては過去最強だともいわれている。この日,私は家に閉じこもって雑事をこなしていたが,本当は東京に出かけて「beat seminar公開研究会」(BEAT)に参加してみようかと思っていた。知っている人に会えそうだったのと,「視聴覚教育メディア論」講義のための素材としても興味深いし,なにより研究への刺激を欲していたから。
ところが,台風なのである。案の定JRのダイヤは乱れているし,東京の宿も確保していなかったのもあって,飛び込みで参加しようとしていた目論見は,あれこれ勘案して諦めざるを得なかった。ううむ,学会のために東京出張したいと思うと職場の仕事が入り,せっかくの機会で自主的に出かけようと思うと天候が邪魔し‥‥,日頃の行ないが悪いのだろうか,わたし。
平日の昼下がり,私は人気もまばらな科学館に足を踏み入れた。それは何年ぶりなのだろうか。小学生のときに友達と来て以来,20年は経過しているだろう。増築されて少し規模が大きくなった科学館は,不思議な空間だった。
科学館のような施設は,その様々な展示の魅力が重要である。科学知識をわかりやすく見せて印象づけるため,様々なビジュアル伝達方法が駆使される。たとえば展示資料の分類には「実物資料」「復元資料」「模型資料」「写真資料」「映像資料」「音声資料」「図解資料」「解説資料」といったものがある(『博物館ハンドブック』雄山閣1990)。こうした資料を展示するために,マルチメディアを得意とするコンピュータも活用されるというわけだ。
とにかく私たちは,ボタン一つで解説が始まったり,展示物が動き出したりする,その単純な仕掛けに喜んだ経験を持っている。ボタンが増えれば,わくわく感も増したものだ。そうやって印象に残った展示装置をいまでも覚えている。そして20年もの時を経て,もう一度科学館に足を踏み入れたとき,そこには新しい展示装置もあったが,かつて見てさわった展示品もたくさん残されていることに懐かしさを感じたのである。
このところ直接間接に文部科学省周辺での不正行為に関するニュースが報道されている。日本学会事務センターの破産しかり,世界青少年交流協会の補助金問題しかり,日本私立学校振興・共済事業団の算定基準問題しかり‥‥。こうして立て続けに報道されるところを見ると,三位一体改革における文部科学省の抵抗を弱めるためのリークではないかとも思えてくる。
はっきり申し上げて世間における文部科学省の旗色はよくない。その中で,直接には関係のない問題だと文科省側や教育関係者が考えようとも,世間は報道記事に「文部科学省」の文字を見れば,否応なく世間での文科省評価に結びつけられてしまう。結局,世論を味方につけられないことになる。
そもそも文科省は足並みの揃わない烏合の衆のようなところ。子育てや幼児教育に始まり,義務教育,高等教育,専門教育,生涯学習にいたるまで,人の一生に沿う事柄をまとめて預かっているのである。混沌と表現してもいいような「人の一生」についてである。そうならざるを得ない。だからこそ,もっとしっかりやってくれないと困るのだが,つけいる隙も人一倍多いのがなんとも頼りない。
もう一度,テレビCMでもつくってイメージアップでもしますか?
幼稚園で実習中の学生たちを訪ねた。昨日は雨模様だったが,今日は気持ちのいい晴れ。この時期は運動会直前で練習が重なる日々なので,実習生達もそのお手伝いをすることが多い。日常的な保育や教育の実習に取り組むことがなかなか難しいのだが,それぞれの園でいろいろ配慮していただきながら学ばせてもらっているようだ。
あちこちの幼稚園をまわると,規模や取り組みも異なるし,地域ごとの事情の違いも垣間見える。幼稚園よりも保育所を選択する親(そちらの方が長く預かってくれるから)が多く,園児が減少傾向にある園もあった。一方で,園児600名を切り盛りする大規模園は,慌ただしい中にもどこか優雅な(悠長な?)雰囲気があったりもする。
義務教育費国庫負担金をめぐる議論で,国庫負担金が廃止になれば地方の教育に格差が生じるという問題が指摘されているのはご存知の通りである。たとえば日本の教育を考える10人委員会サイトや『世界』10月号の論考を参照。難しい議論は別にちゃんと押さえるとして,実際に格差が生じたときに見えてくる風景は,いまの幼稚園や保育所の世界なのかなとぼんやり思った。古めかしく卒園生には懐かしい園舎も味があっていいのだとは思うが,一方では潤沢な資金のおかげで新しくて明るい園舎や部屋がまぶしいところもある。地震があったらと思うと,両者の違いが何となく不安でもある。たぶん世間の人には,そういうものさえイメージできていないのかも知れない。
思ったのだけれど,たとえば10人委員会のサイトも小綺麗にまとまって,スライド資料のPDF等の資料は悪くないが,いっそのこと「金持ちA学校×貧乏B学校」ってな企画で,イメージ写真や映像をつくってみてはどうだろう。とりあえず発言しましたというアリバイサイトに終わりたくなかったら,世間の人々に訴求することに徹してみるのも悪くない。え?それはマイケル・ムーア的だって?ははは,かもね。
非常勤講義の第2回。「視聴覚教育メディア論」(skm)では,本論に入るための予備知識やイメージを持ってもらうため,パソコンで出来ることをプレゼンテーションすることにした。要するに「デモ」である。パソコン販売員よろしく,パソコンがいかに多機能かを喧伝したわけだ。
本音のところでは,こういう事を大学の講義でするのはいかがなものかと思う。視聴覚教育の歴史をたどり,メディアリテラシーのなんたるかを説き,情報モラルやセキュリティに意識的であれと啓蒙するような,そんな授業が粛々と展開する方が「大学の授業してるよなぁ,オレ」って気がしないでもない。まして,普段からマイクロソフトの手先と化して「マイクロソフト・オフィスのワークショップ」やっていると自嘲しているにもかかわらず,今日はマッキントッシュを使っての実演だったから,アップルの手先と化しただけの授業だったと言われても反論のしようがない。
もちろん,その批判は甘んじて受けるにしても,私は授業を終えて再理解した。まだ今の大学生は,パソコン知らないのである。インターネットが日本で商業向けにデビューして10年である。今の学生達が小学3〜5年生の頃だ。Windows95旋風も同じ頃だから,まだまだパソコンが身近な世代ではない。むしろ携帯世代である。
今日から10月。秋といっていい時期のはずなのに,日中はまだ暑さも残る。来週くらいからは秋物が問題なく着られる陽気になるといいものだ。今週も一段落,来週は幼稚園へ実習訪問に出かける予定。まだアポが取れていない,どうしよう。
先日の台風の日には高校訪問へ出かけ,大雨と強風の中をドライブ。あちこちに点在する担当校の進路指導室にお伺いして,資料を渡したり,様子を教えてもらう。短大なんか相手にしない高校もあるし,そうはいっても訪問客,台風の中をびしょ濡れで訪ねにきたのが哀愁を誘うのか,その優しさが身にしみた訪問校もあった。最後の高校では,駐車場の排水溝に車のタイヤがはまり,独りでジャッキアップして悪戦苦闘していたら,やみかけていた雨が大泣きをはじめるコメディ映画状態。それを,訪問しようとしていた学校の先生が校舎から発見してくれて,他の先生方と一緒に救援してくれた(ホントの話だけど,ヒミツの話)。その日に高校訪問に出かけたのは,担当授業がない日だからなのだが,先生にとっても台風は授業のある日の午前中にやって来て欲しいと思う一例である‥‥。
なにやら小学生の天動説問題が賑やか。学会なんかで改めて取り上げると,文部科学省も無視できないのか,記者会見でコメントしたのだという(この「記者会見」というのが,いつも気に入らない。私たち一般人はどこからそのニュースソースを得ればいいのか。東京人や記者クラブの連中の仲間内で勝手に盛り上がらないで欲しいよ)。はっきり言って,この話題で盛り上がる基準が私にはわからない。どう考えても些末な話だ。文部科学省が「中学校で扱います」なんてコメントする事自体,筋書き通り,予定調和のせりふを引き出したに過ぎないわけで,なんも意味がない(しかも得体の知れない「記者会見」でのコメントだ)。もっと新聞スペース費やすべき話題があるだろうに。
さて,来週の準備をしましょうか。
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