センター試験であれこれ問題が出てきて賑やかだと思ったら,今度はいよいよ「総合的な学習の時間」の削減も視野に入れた学習指導要領の抜本的見直しを中山文科大臣が明確にしたというニュースが飛び込んできた。
それにしても年明けの文部行政周辺はいつも慌ただしい。ご存知のように今年に入って読売新聞には,教育基本法改正に関する作業部会だかどこかの提案原案を取り上げたアドバルーン記事がお目見え。かつて文科省の「ゆとりから学力重視」の方針転換を年明け早々にすっぱ抜いた読売らしい記事である。まあ自民党大会で改めて年内の改正が誓われたのではあるが‥‥。
今回,中山文科大臣がスクールミーティングの後で明らかにしたとされる意向は,「主要教科の授業時間数拡大確保」「総合的な学習の時間の削減可能性容認」「土曜日授業実施の弾力的容認」となっている。個人的な見解として「国語を重視」といったところのようだ。スクールミーティングで現場の先生たちの意見を聞いた後ということもあるだろうが,これらの意見は中山文科大臣自身が前々から取り組みたかった懸案事項のようでもある。
それにしても,この不十分な情報からすると,中山文科大臣の発言は単なる復古主義にみえる。要するに改革する前の状態の方がマシだったことを受けて,そこへ戻してもいいんじゃない?と言っているだけじゃないか。それを中教審はどう吟味するつもりだろう。学習指導要領の抜本的見直しは必要としても,そのどさくさに紛れて「総合的な学習の時間」削減論を,さももっともらしく立論してしまうのは,これまた乱暴としか思えない。教育研究はどこまで蔑ろにされてしまうのか。
皆さん,よく考えていただきたい。そして本来切り分けて考えなければならない事柄を混同させてしまう落とし穴に気をつけていただきたい。あたかも現場の声を吸い上げて,ゆとり教育なるものを見直し,かつての学校教育を取り戻せるかのように思わせる今回の動きは,改革の新たなバリエーションを増やすことに加担して,実のところ更なる混乱を引き起こしかねない。
物事を変えるにあたって,大胆な決断や行動の必要性は認めるとしても,教育研究がその決断と行動のために研究成果を蓄積し続けているにもかかわらず,参照され熟考されることなくマスコミ報道の盛り上がりの声によって事態が進展してしまう実態。実は,それこそが私たちが繰り返している過ちなのではないだろうか。
教育について検索していたところ、先生のblogが多数ヒットしました。今回我慢できずにコメントさせていただきます。OECDのとらえようとしている学力観を無視してさわぎ始めたマスコミ。(OECDのスタッフもまさにこのマスコミの動向をおそれていました。東大で。)そこにまたひかかってしまった
文部大臣。学力の本質的な意味をとらえようとせず、個人内の知識の蓄積としかとらえられない学力観で,また旧態依然の授業が続くのでしょうか。うんざりです。
投稿情報: lee | 2005年1 月19日 (水) 20:19