昨年末に発表されたOECD-PISAとIEA-TIMSSの学習・教育到達調査の結果が,学力低下傾向を示していたことに端を発し,学力重視の主張がさらに激しさを増してきているようだ,そして,18日付報道にもあったように,中山文科大臣の学習指導要領の抜本的見直しを公に明らかにした。日本教育新聞の記事では,すでに昨年の中教審総会にて,見直しに関する要請が伝えられたことが報道されている。
2つの国際調査が学力低下傾向を表したとはいえ,それは単なるペーパーテストの結果と解すべきではない。特にOECD-PISAが行なった学習到達度調査の内容は,昨日の駄文に対するlee氏のコメントにもあるように,今後のますます複雑化する時代を生き抜くに必要なリテラシーとは何かを詳細に吟味した上で設定されたものであるのだから,中山文科大臣が発言したような教科中心主義への比重移動の必要性は,すり替え議論でしかない。『論座』2005年2月号には,その辺の話も含んだ,佐藤学氏による「「改革」によって拡大する危機」という論考が掲載されている。
「文科大臣の発言は個人のものではあり得ない。」雑談の中でそう言われて,少しハッとした。それはそうだ,見過ごすところだった。すべては文科省のとある勢力や大臣の取り巻きがお膳立てしたシチュエーションの中で起こっていること。そう考えると,なるほど過去の歴史にその構図の見本がある。教育基本法改正問題も,過去の制定過程を調べてみれば,どうしても変えたがっている理由のようなものが見えてくる。日本国憲法を変えるためには,教育基本法を変えなければならないという暗黙の理屈を踏襲しようとしているようなのだ。その歴史の周辺には「国語重視」のような考え方も散見される。要するに,今あらためて60年前などの歴史の段取りをまねて物事を変えようと画策している人たちがいるということだ。
その人達にとって,忘れん坊で煽ること大好きなマスコミは便利な道具だし,「ゆとり教育」なる言葉は正式なものでないとしても攻撃しやすい分だけ有り難いレッテルなのだろうし,様々な現場の人たちの感情的な発言や意見は議論のすり替えの余地をもたらす点で大歓迎なのだろう。政治問題になりにくいといわれる教育は,実はもっとも政治的に操られている分野である歴史は変わらないようだ。
林先生のblogをあらしてしまうのではないかと、心配しています。今回の文科大臣の発言は、まさに先生の読みの通りのようです。
下は、知り合いの某企業の方からのメールのコピーです。
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インタビューの時、同行していた官僚の方と昨日お会いしました。
工業高校と大学を一緒に視察し、IT利用の教育や科学教育には
大変関心していたようです。また工業高校とつけない進学工業
高校も訪問し・・・ということだったようですが・・・
きっと
ゆとり教育=総合的な学習の時間と説明した取り巻きがいるのだと
思います。多分***調査官とかいう職種の方々ではないかと・・・
投稿情報: lee | 2005年1 月20日 (木) 21:43