ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの攻防戦は,株式市場の様々なルールを駆使したパズル解きのような手段を次から次へと繰り出して,そのからくりに感心する一方で,あまり生産的でない様相も呈している。日頃,マスコミのパターナリズムがもたらす弊害を嘆いている立場からすると,ライブドアがちらっと見せてくれた「あぐらをかいていたマスコミへの一撃」劇は,「この日本でも何かを変えられる余地がある!」と希望を抱かせる痛快な出来事だった。
報道機関は,社会の公器であるという認識から,一企業がマネーゲームによって経営支配することはそぐわないとか,外資が一定割合以上の株を持ってはいけないとか,そういう理屈がある。しかし,はっきり言えば,そんな建前で守られるほどの器が今日のマスコミにあるとは思えない。所詮,利益追求体であり,広告代理店と共謀して日本人の脳みそを馬鹿にしてきた前歴がある。しかも,8チャンネルは見るだけで馬鹿になると揶揄されたテレビ局だ。インターネット企業と協業して,羽目を外すことくらい,お家芸で軽くやってくれればいいだろうに,結局,その裏で自分の取り分をしっかり確保している人間がわんさといることを再確認できたまでか。
ライブドアにしても,インターネットの可能性を熱心に信じて取り組んでいることには共感するが,若い企業ゆえだろうか,一つひとつ表出してくるものに成熟さや思慮深さが足りない。だから,パターンの蓄積を持つ先輩達に軽んじられるのであろうし,熱意がいまいち伝わらない。とにかく,この騒動からは世代の違う集団が関係を取り結ぶに伴う諸々の問題や課題を見出せるし,だからこそ個別具体的な衝突よりも,今後日本で生きたり働いたりすることの姿や質とは何かを考えるのに絶好の話題だと思う。
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