先週末,日本カリキュラム学会が奈良教育大学であった。前日の夜に,他の仕事の区切りがついたところで,急いで東京から名古屋へ,早朝に名古屋から奈良へ向かって,なんとか朝から出席できた。
身辺の慌ただしさもあって自身の発表参加とはならなかったが,学会は今回もいろんな意味で勉強になった。目新しいものはなかったにせよ,自分の問題認識枠というものがそれほどはずれてはいないということは確認できた。問題はこの足踏み状態を次に推し進めるよい手だてを考えて実行することか。
課題研究やシンポジウムの企画や進行の難しさは相変わらずだった。昨年は課題研究について,大いに不満を書き殴ったけれど,今年もまだ「ポリティックス」って言葉を解説するだけで終わっている人がいて,思考の停滞具合に寒ささえ感じた。それともあれはクーラーの効き過ぎだったのだろうか。
けれども,そう感じたとしたら,それはそのまま自分へ反射してくる。その先を考える必要を感じるなら,同じ研究共同体に属する者として「俺の展望はこうだぜ!,君のはどうだ?」というスタンスで関わらなければ…。問題は,それがうまくできていないから,相も変わらず堂々巡りなんだ。
私としては,一度でいいから,午前中に大御所の方々が登壇した課題研究を,午後に各世代を交えた「懇親会まで生討論」で議論する,その司会をやりたい。恐ろしくて誰も討論してくれないかも知れないが,こういう議論を解釈するための議論を率直にオープンにしないと,ポリティックスとか情報共有とかの一歩先は無理である。私個人は,人生で1回くらいそういう企画を実現して研究者生命を終えたいと思う。
一年ぶりにお会いする方々に退職の報告をする。いろんな反応があった。肯定的なものもあれば,残念だね系も。肩書きが無くなって「自分の名前で出ています」という状況は,自分よりも相手にとって(つきあい方が)辛いのだなということも,だんだんわかってきた。とりあえず,人々の目がやさしいうちに次のステップに移らねば。
人が集えば,たくさんの考え方がそこにあって,それはそれぞれにとって妥当な状態にある。そのことに思いを巡らせることも大事だけれど,もう少し自分の手持ちの考えも認めてあげなくちゃいけないのだなと,少しばかり思った。
お疲れさまでした。裏方をやるといろいろ納得です。
・課題研究の記録を残す
・事前の打ち合わせを増やす
というのがありがちな改善策なのでしょうが、実は、
・昼間に懇親会(Tea/Coffee Break)をやる
というのがめちゃくちゃいいと思います。そこでマジに罵倒しあう、と(笑)
...夜がさらに怖いな。
フラストレーションがたまるなら、何かやらないといかんですね...
もう、我々は面白さを享受する年代ではなく、面白さを提供する
側なのかもしれません。嗚呼。10年会員として痛感します。
投稿情報: 同業者N | 2006年7 月12日 (水) 18:28
学会,裏方お疲れさまでした。今年は一緒に熱唱?できず残念。
そうですね,提供する立場として動き回っていいのかも知れません。
昼間の懇談会ってのもいいですね。その延長線上で「ランチ・
シンポジウム」と題して,みんなが食事している前で登壇者が
しゃべってるの。ほとんどデパートの屋上ステージ状態ですが…。
(昼食,まずそ〜)
奇想天外さはさておくとして,それをやらせてもらえるように
自分の出直しを頑張りたいと思います。機会がやって来たときには
ご協力お願いします。
投稿情報: りん | 2006年7 月12日 (水) 23:43