文部科学省から報告書「初等中等教育の情報教育に係る学習活動の具体的展開について」が発表された。今後「教育の情報化」の取り組みは,これを踏まえて行なわれることになる。
文部科学省から報告書「初等中等教育の情報教育に係る学習活動の具体的展開について」が発表された。今後「教育の情報化」の取り組みは,これを踏まえて行なわれることになる。
水原克敏編著『学校を考えるっておもしろい!! 教養としての教育学 〜TAと共に授業を創る〜』(東北大学出版会2006.7)は,教育学のテキストとしてはカラフルで若々しい雰囲気を盛り込んだテキストだ。
内容は書名の通り。TA学生と共に創った教養教育・教育学の授業記録である。単に講義内容を再録しただけでなく,受講生立ちとの質疑応答はもちろん,感想コメントやディスカッションの様子などもTA学生の会話によって紹介されていく。講義で用いられた図や写真等の資料も豊富で,教養の教育学を勉強するには入りやすい。
マンガや会話といった形式を採用すると,読み手や(この場合)学生の視線の高さを意識しながら内容を展開できる。入門書でこうした形式が多い。たとえばよくある誤解を登場人物にあえて提示させて,誤解を解くことでより望ましい知識を印象づけようとするパターンは基本であろう。また登場人物を複数用意し,役割分担させる場合もある。
こうやってコミュニケーション過程を明示させることで学習負担を軽減させて理解を促す方法は,言ってしまえば手っ取り早さを期待しているところもある。昔だと「本との対話をしろ」って言われて,何かを読み取るかどうかは本人の努力次第だった。親切な入門書は,内容のポイントを乗せたり,議論ポイントや小質問を用意したりして,コミュニケーションの生成を助けようとした。マンガや会話を使って,コミュニケーション自体を描くものも出てきた。そこからメタコミュニケーションを期待する場合もあれば,オルタナティブなコミュニケーションを導くものなど分岐する。
本書が楽しいのは,教育学講義の担当経験がある者として,自分の講義を思い出すからである。そういえばこんなことも扱ったなぁ…と。一方で,TA学生さんたちとのコラボレーションができることをうらやましくも思う。私はこれの縮小版を一人で切り盛りしていたのであるから,元気でした(いまも元気のつもりだけど…)。
稽古を始めて気がつくのは,日々無口に過していたのだなということ。声を出す生活をしていないのである。9年間しゃべり続けてナンボの生活から一転,独り部屋で籠もる生活。声を出す機会も場所もない。
冥王星が惑星から外されたらしい。教科書会社は大慌てかも知れない。というか,そもそも増えるって話が,いきなり減らす話になって,それがすんなり決まっちゃうんだから,学者というのは自分勝手である。
1930年に発見されて惑星の一つとして加えられた冥王星。2006年に新たな惑星候補が発見された際,惑星定義の見直し議論が発生してしまい,冥王星が惑星から削除されるという顛末。別にその決定は間違っちゃいないと思うが,配慮は欠けていると思うね。なぜそう感じるかを考えることは大事なことだと思う。
自分たちが前提としたり共有してきた知が一方的に書き換えられてしまうことの違和感はどこからやって来るのだろう。また,仮にその出所が分からないとしても,違和感に対する配慮というものはどうすれば可能だろう。マスコミ報道によって世間に周知徹底することももちろん大事だけれども,それだけが配慮の全てでない。なんて考えていくと,いろいろ興味深い議論になりそうだ。
当分,悩ましい時が流れる。まあ大丈夫。どんな結果になろうとも,面の皮の厚さにゃ自信があるから。
鉛筆で短時間に文章を書くのは結構大変。けれども,シャープペンシルと違って書き味はよかった。今回,トンボ鉛筆の「ゴム付鉛筆HB」を使った。お尻に消しゴムが付いた黄色い鉛筆である。
日本の鉛筆といえば,黒色の三菱鉛筆が定番なので,黄色のトンボ鉛筆を見るとアメリカの学校で使われている鉛筆という印象がある。で,実際アメリカなんかに行って,黄色の鉛筆を使うと,書き味の悪いこと悪いこと…。書いてても滑りが悪いし,削る時にもバキバキ芯が折れたりする。さらにお尻の消しゴムの質も酷いこと酷いこと…。擦っても消えないし,硬すぎて紙がヤワなら破れてしまう。
ところが,トンボの黄色鉛筆は,そんな欠点がまるでない。書き味滑らか,消しゴム柔らか。さすがメイド・イン・ジャパンである。というわけで,今日はこの鉛筆でたくさん字を書いた。
先生お元気ですか。ご無沙汰をしております。
春に上京したことは,ご存知のことと思います。いまは再び受験の身となりました。
35になっても相変わらず落ち着きがないと,先生にはまた呆れられるかも知れません。
身を固めるでもなく,彷徨うことが習性のようです。私の来歴からしてそのようです。
「見えない世界を見る」ことが学問であると,脳裏に焼きつけたまま,ここまで来ました。
けれども先生。求められているのは「人々が見ていない世界を見せる」ことのようにも思えてきます。そもそも,見えない世界はもう無いのではないか。むしろ,人々が見ていないか見方を知らないだけではないのか。そこにどんどん成果を提示していくことが大事である。といった流れにあるように思えます。そして,私なりにその流れに追いつこうと努力しています。
先生からすれば,浮き足立って見えるでしょうか。私も,自分自身が心許ないです。
教員養成系の学部で学んだ者に通底するのは「教育は人なり」。自己鍛練の必要性でした。
そのことを支えずして,どんなに膨大な資源を費やしてみても,それは砂上の楼閣に過ぎない。
だからこそ精神論としてでなく,また技術論で終わらない,方法論としての方途はないものか。
それが,私の変わらぬ問題意識でした。今後もそのつもりです。
いまはこうして,縁に助けられながら,東京の地より小文を書かせていただいております。
特に,私の精神的基盤を育み,背中を押し続けてくれている両親には言葉にならない感謝を。
先生にもご心配ばかりをおかけしております。次ぎ行くところがどこかは風任せの縁任せ。
また先が見えてきたところで手紙を書かせていただきます。それまでどうぞお元気で。
映画「不都合な真実」(原題:An Inconvenient Truth )が秋に公開される。地球温暖化の深刻な現実を扱ったこの映画自体は,また時期が来たらご紹介したいとは思う。とりあえずは予告編などで興味を持っていただきたい。
今回ご紹介したいのは,この映画のプロモーションのため,出演者であるアル・ゴア元副大統領がサタデー・ナイト・ライブ(SNL)に出演していたこと。その映像がアル・ゴア氏のブログに掲載されている。しゃべっていることは何度か聞いてジワジワと分かってくるので,私にはスルメのように美味しい映像である。
SNLは米国の長寿コメディ・バラエティ生番組である。私たちが知るコメディ系映画俳優の何人もこの番組の出身者で,出演者を変えながら番組自体は一つの伝統的な「枠」(「わく」)として残り続けているわけである。
私自身SNL大好きなのだが,残念ながらビデオを借りて見るとかはしていない程度の浅学ファンである。それでもSNLが好きなのは,この番組が日本も含めた他のバラエティ番組に大きな影響を与えていて,視聴者としてその空気を間接的に味わっていることもある。それに何かの機会にSNLを見るたび,その何だか分からない楽しげな番組の雰囲気が「いまは眉をひそめる時間じゃない,楽しむ時間だぜ」とはっきりメッセージを送っていて,見ていて気持ちいいのである(つまり彼ら彼女らはショウを見せるエンターテイナーに徹している)。
そんなわけで,かつて大統領を目指し,いまは熱心な環境問題の啓蒙家であるアル・ゴア氏さえ,この番組に登場し,過激なパロディを演じても,その枠の中なら「ショウほど楽しいものはない」と許せてしまうのである。ちなみにゴア氏ご本人も,もともと冗談好きみたいだ。映画予告編でもそうした一面が垣間見られる。
まあ,日本には本当の政治をショウにしちゃった強者がいるので,あえて日本で同じことをする必要はないと思う。その辺,日本人はいろんな枠を壊しすぎちゃったのかなと思う。おかげで得たものもあれば,失ったものも多いけれど。
NHK「英語でしゃべらナイト」の京都スペシャルを見て思ったのは,日本人から「粋」(「いき」)が無くなっていること。確かに京都と他都市じゃ文化が違うのかも知れないが,それでも大なり小なり日本文化には「粋」があったと思うのだ(だから番組は「Do Kyoto」というキャッチフレーズで締めていた)。
というわけで日本は「枠を壊して粋が無くなる」という奇麗な結論が出たところで,お開き。
W先輩が出張先から東京経由で帰路につくらしく,久しぶりに会わないかと連絡をいただいた。私が上京してからは初めてになる。職の有無が逆になったりして,人生の変遷というのは面白い。
近況を報告し,まもなく大学院試験が始まることを伝える。いつもの通り,励ましとアドバイスをもらう。かつての大学院での経験についてもお話が及ぶ。大学院教育の世界にもあれこれ事情があって,大学院毎に気質や雰囲気に違いがある。もちろん基本的には,大学院生本人の努力がものを言うことには変わりない。けれども実際には,院生内に後輩への指導文化はあるのか,共同研究をする伝統はあるのか,放任型か管理型か等といった大学院風土が大きな影響をもたらす。
ここで恥ずかしげもなく駄文を書き続けているのをご覧になって分かるように,私は十分な訓練を受けたタイプとは言えない。そのことをW先輩も繰り返し指摘してくれる。いろいろ事情もあって師匠が不在がちだったことをいいことに,私も自己流で好き勝手に本を読んでいただけで終わった2年間の大学院生活だった(もっともそのこと自体は感謝しているし,よい経験だったと信じている)。
そんなわけでW先輩も,私が大学院に入り直そうとすることには賛成。年齢的にはギリギリだろうと懸念される事柄や困難はズバズバと指摘されたが,それも心配しているからこそのエールである。批判されるのは慣れているが,褒められるのには慣れていないので,これくらいがちょうどいいのである。
(余計なことを書くと,他者の批判や問いにセンシティブになるべきかどうかの問題は難しい。悩み多き人生に慣れているかどうかという人間性も関係するためだ。むしろ怖いのは,自己批判や問いの無限後退へと陥ることだと思う。もっとも,最近の人たちは悩まなさすぎにも見える。そう思えるときは,もっとセンシティブになれよと言いたくなる。ああ,浅はかな私,やっぱり研究者に向かんのだろうか ^_^; )
東京の街についてや住み方アドバイス,短大や大学経営の世間話をしながら東京モノレールに揺られて,東京駅まで先輩を送る。「けど,おまえは運がいい方だよ」と言われ,素直に同意した。自分で職を辞して勝手に上京したのに,こうして忙しく活動できるのはラッキーである。
もっとじっくり本を読んだ方がいい,いずれ海外へ勉強しに行った方がいい,とすべきことは多い。正直なところ,慌ただしさにかまけて,基本的な勉学努力を怠っていることも事実である。欲張りな割りには力の無い自分をどこかで調整しなければならないのだが,まあ,悪あがきをするしかないとも思う。
東京駅にてW先輩と待ち合わせている人物を探す。話の感じから高齢の男性を思い描いていたのだが,実際に現れたのは先輩と同じ世代の女性だった。そこでバトンタッチ。年内にまたお会いする約束をして先輩と別れた。
それから銀座の伊東屋に初めて出かけた。東京で一番大きい文具店は「伊東屋」らしい。時季外れだが手帳を新しく購入したかったからである。前途多難,暗中模索な私自身の先行きを少しでも見通し明るくするためだ。これについてはまた改めて熱く語ってみよう。
以前の駄文に,自分の「楽しそうな話っぷり」に関して褒められたことを書いた。シンポジウム登壇での発表や,集中講義での講話の様子についてである。
ちなみに,他の先輩同輩諸氏のブログを見ると,ご自分の授業について,方法だけでなく,内容の理解しやすさも評価された,なんてことが書かれている。「内容はともかく」とか書いている自分が恥ずかしいもんだが,わたくしの授業はボディブローのようにじわじわ効いてくるのが特徴なので…という言い訳は置いといて,これに関しては精進精進。
それで,「楽しそうな話っぷり」はどこからやってきたのかという由来について,そのモデルが母親であることは分かっていたのだが,もう一人について(前回の駄文を書いて)ハタと気がついた。
元NHKアナウンサーの鈴木健二氏である。彼の「クイズ面白ゼミナール」における名司会(教授)ぶりは,とにかく「楽しそうな話っぷり」そのものであり,ウィキペディアでも触れられているアドリブ癖も,大いに楽しかった。
あの少々ワンマンでありながら嬉しそうにしゃべる様子が「ああ,物事を説明するというのはこういうことなのだな」と幼心に焼き付いたのかも知れない。とにかく「クイズ面白ゼミナール」は(当時)面白かったのである。
(そういえば,後番組「クイズ百点満点」の大塚範一氏も好印象だった。とにかく「クイズ面白ゼミナール」「クイズ百点満点」そして,NHKアナではないけど古舘伊知郎氏の「クイズ日本人の質問」に続くあの頃は,NHKクイズ番組史における黄金時代だと思う。もっと古い黄金期もあるとは思うけど…。)
って書いてたら,以前このネタ書いたことがあったんじゃないかと思い出した。そうだそうだ。でも「楽しそうな話っぷり」に関しては,今回初めて確認したことだ。
小芝居っぽさをあえて嫌みに感じないで楽しむというスタンス。きわめて80年代っぽい方法で,たぶん今だと好き嫌いが別れると思う。それだけに相手の寛容さに左右されがちだが,そこら辺の関係性を結ぶことも教師としての資質の一つである。と精神論に逃げて,この話は終わり。
モヤッとした日々を過ごす。終戦の日前後は,毎年疎いなりに歴史のことを気にするのだが,今年は世間の空気に乗っかって歴史の本を眺めている。
劉・三谷・楊『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』(東京大学出版会2006.5/2800円+税)には興味を抱いた。日中韓の歴史認識に関する対話や共同研究の試みは,国や民間のいろんなグループが展開している。その成果も文献として上梓されているが,どれも芳しい受け止められ方をしていない。その中で,本書が提供するのは,成果というよりも過程の提示である。21世紀に入り,各国の歴史研究環境も前進し,一次資料の開示も進みつつある。一方で,当時を生きてなお存命している人たちも少なくなりつつある。まさにその時期に,歴史から得た内容をもって対話するというよりも,歴史に対する方法を土台とした理性的な対話によって,互いの歴史認識を高めていこうとするスタンスが,本書から感じられる(ってまだ読めてないんだけど…)。
教育内容とは何なのか。これに関する文献資料を見た記憶がある。単なる「内容」と「教育内容」に関して,原理的な考察をしたものだった。教育内容として使用する意図のもと事前に用意する内容以外にも,そのような意図のない内容も文脈に組み入れることによって教育内容たる場合があることを,あれこれ論じていた(と思う)。誰あろう藤岡信勝氏が書いた論考だ。最近はすっかり歴史教科書の人になっていらっしゃるけれど。
最近,シリアスゲームに関する最新動向を聞いたのだが,シリアスゲームの定義はまさに文脈依存型のものだった。何か特定の形式や条件を満たしたものがシリアスゲームというわけではなく,想定している文脈にゲームが当てはめられれば,それをシリアスゲームと呼び得るようなのだ。
だから,「内容」や「対象」よりも,「方法」あるいは「視角」のようなものが重要なのかと感ずる。カリキュラム研究においても,この予感はかなり以前からあった。少しずれるが「メディアはメッセージ」という有名なマクルーハンの言葉も,どこかで通底している気もする。
ナントカ劇場のおかげで,日本のマスコミの滑稽な正体がかなり明るみになった。(さらにずれるとは思うが)マジックミラー越しに置かれた鏡を見ているようなものだった。つまり,日本人が見ていたもの(メッセージ)は,マスコミ(メディア)そのものだったし,それはマジックミラー越しの私たち自身でもあったわけだ(そういうニュアンス)。
それゆえに私たちが足りなかったのは,方法と視角のレパートリーではなかったか。一人一人の方法と視角そのものもなかったかも知れないし,それを発揮する場もなかったかも知れないし,発揮すべき場があった場合には発揮すべきものがなかったのかも知れない。だから諸外国の人々には,何を考えているのか分からなかったともいえる。
若い世代にとって,歴史認識方法や視角に関するよいロールプレイモデルが提示されていなかったことは,さらに不透明度を上げたのではないかと思う。日本には歴史という知的プラットフォームを使って世代間のコミュニケーションや関係を構築する機会がほとんどないように思う。私が歴史に疎いせいでそう思うのかも知れないが。
歴史の文脈でそう考えたとき,別に歴史のことだけに限らず,学校教育で知識を学ぶのはなぜなのか?という問い掛けに対して,コミュニケーションにおける共通のプラットフォームづくりであると答えることは意味あることではないかと思っている。プラットフォームづくりを保証するのが「カリキュラム」の仕事の一つである。
この頃思うのだ,当時は歴史がほとんど分かってなかったのに楽しかった「クイズ・面白ゼミナール」の歴史クイズを,歴史が少し見えてきた今,もう一度見てみたいなぁと。
東京では落雷停電,事故大停電など大変みたいだったが,名古屋にいたので体験できず。そのあと東京に戻ってみたが,特に変化なし。台風もたくさんやってきている(「台風前線」が面白い)。さて,宿題を片づけなくては…。
夏休みの帰省中。古巣の同僚の皆さんや卒業した教え子と日帰り旅行をした。それは,2つの物語のその後を垣間見ることになった旅行だった。そして,ほろ苦くも幸せな物語である。
一つ目の物語は,かつての教え子たち三人の友情についてである。留学生だった学生と保育士となった学生二人は,もともと所属学科が違っていた。こういう場合,友達になる機会がなくて,それぞれバラバラに学生生活を過ごして卒業していくものだ。そんな彼女たちが出会うことになったのは,私が担当したパソコン市民講座を手伝う学生アシスタントの募集に応募したことがきっかけである。
それ以来,彼女たちは学生生活を共に過ごし,卒業後もゆっくりとしたペースながら連絡を取り合う友達である。留学生の彼女は,母国に帰国したのだが,こうして年に一回,日本に訪れて友達と会うわけだ。そして今回は,私も小旅行にお供する機会を得たというわけである。
正直に告白すれば,このエピソードを私自身はすっかり忘れていたのである。もちろん教え子たちのことは忘れていないが,そういえば,この子たちが出会ったきっかけは私の講座だったのだ。そして今日,あらためて彼女たちの口から「先生には感謝しています」と言われて,私の錆びついた記憶テープは急速に巻き戻った。
インタラクションの少ない私生活が,学年歴を周回する9年間の記憶をデジャヴュの断続として曖昧にし,大事な記憶を置き忘れてしまうことに,言い知れぬ不安を感じた。同時に教え子に対して申し訳ない気持ちが膨らむ。
けれども一方で,学生たちに感謝されている自分がいる。誰かが言った「先生,まさに教師冥利に尽きますね。」私はうなずく以外になかった。自分の仕事が生み出したとされる良き友情関係とその後の交流について,こうして再び間近で確認ができるなんて有り難い。
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