ちょっと寝て,目覚めたので顛末記を書いてみよう。その日は朝から雨だった。ハワイに来たのに雨とはどういうことだと,悲しい気持ちだった。たぶん国際会議に出席するためにハワイに来るという,かなり間違った行為に関して人々の気持ちが悲しいからそういう天気なのかなと,勝手に想像して始まった一日だった。
eラーニングという分野を中心とした国際学会E-Learn。メジャー国際学会への参加は初めてなので,どんな雰囲気なのか,どんな研究がなされていて,どういう風に発表されるのかを見ておきたかった。今回の旅のそもそもの発端は,それだったのだ。そこにサンフランシスコの妹夫婦や姪っ子甥っ子に会う計画が足された。
さて,初秋のサンフランシスコから常夏のハワイへ。確かに降り立ったハワイは夏模様。けれども,天気はすぐれず,到着したその日は夜に小雨も降った。学会会場であるシェラトン・ワイキキ,その隣にあるロイヤル・ハワイアンに宿泊することになっているので,そこにチェックイン。同じシェラトンなのだが,こちらはちょっと別館っぽい作りになっている。
部屋について,荷物を開き,インターネット接続を確保して,メールをあちこちに打ち,着替えて,会場下見に出かけた。堀田先生はその日発表で,私が到着した18:00すぎ頃は発表関係者の皆さんと夕食にでも出かけて,そのまま飲んでいるに違いなかった。だから,とりあえずフロントでメッセージを残したいとお願いして,留守電に吹き込んだ。
それが長い一日の前日だった。
いよいよ学会への参加だと意気込んだ翌朝。6時半頃にアラームが鳴ったので,メールチェックなどしながら支度をはじめる。そろそろシャワーでも浴びようかと,洋服の準備をしていたそのとき,部屋が揺れた。
ご存知のように,地震は二度来ることが多い。最初が「表面波」という軽い揺れ,そして「実体波」という本格的な揺れである。最初の揺れは軽く収まった。「オッオ〜」と外人みたいな驚き方しながら,経験的に次がくるかどうかを身構えた。部屋の時計は7:14だった。後に知った報道よると7:07が公式見解らしい。しばらくして実体波がやってきた。かなり大きい。大丈夫かな。机の上のものなどを気にしながら部屋全体を眺め,どこに隠れようかと思案した。そうこうしているうちに揺れは収まった。
状況に変化無し。机のものは落ちなかったし,水も電気もそのまま。早くシャワーに入って支度して,会場へ行こうと思った。バスルームで歯磨きして,シャワーにはいる。雨に地震とは…,まったくどういうことなのかと思いながら,湯を浴びていると,明かりが消えた。「おっ?」と思っていると,明るくなった。「こりゃまずいな大丈夫か。早く頭洗って,シャワー出よう」。そして頭そして身体を洗っていて,とうとうバスルームの長い暗闇が始まった。
真っ暗の中でシャワーを浴びる。身体に石けん残りがないよう入念に浴びる。まだ湯は出ていた。けれどもタンクの水がなくなったら断水するのではないか。とにかく急いで洗い流してバスルームから脱出した。
部屋は薄暗かった。窓からの光は雨天のため少なく,時計表示も消えていて,明るいのはノートパソコンの画面だけだった。すぐにスリープさせた。身体を拭きながら外を見る。朝だから明かりの状況は分からない。中庭と工事中の建物と遠くのビルが見えるだけの景色。シェラトンと反対側の建物のかなり端っこに部屋を用意されたので,情報を得るには不向きな場所なのだ。
こんなこともあろうかと,ミニ・マグライトを持参してある。単四電池型なのでそんなに明るくないが,真っ暗なバスルームを照らすには十分。ロイヤル・ハワイアン・ホテルでは館内放送もなく,電気がない以外は穏やかな時間が流れていた。実際にはロビーにたくさんの人がいたし,隣のシェラトンのロビーにも雨ということもあって,たくさんの人達が足止めを喰らいごった返していた。逆説的だが,さすがリゾートホテル。優雅な空気は確保されている。
そんな調子だったので,停電時に人々が叫んでいたのは聞こえなかったし,館内放送もなかったから緊迫感も伝わってこなかった。ロイヤルハワイアンは古い建物だから,ここだけが停電しているのかも知れない。まあ大丈夫だろうという雰囲気だった。ただ,それは逆に怖いこと。火災現場にそれと知らず取り残されているシチュエーションかも知れない。とにかく身支度をして,シェラトンに向かった。
シェラトンに近づいて驚いた。本館も停電していたのだ。そしてロビーにはたくさんの人が行き場もなくて集まっていた。え〜,と思いながら会場へ。ところがやはり学会も停電で8時からのレジストレーション受付もストップ状態。係の人によれば,ハワイ全域にわたる大停電だそうで,復旧の目処は分からないという。
といってもこの雨である。どこへ行けるわけでもなく,会場ロビーで待つしかない。受付も出来ないから会場の情報ももらえず動き回れない。しばらくは受け付けカウンターで待ち,それからエスカレーターと窓側近くにある角の空間を陣取って本を読んでいた。
9:20頃,学会参加者への軽食サービス始まる。ベーグルとジュース。有り難いことにミネラルウォーターのボトルも支給された。途中,主催者からのアナウンスがどこかの会場であったらしいが,駆けつけたときには話し終わっていて,どうなるのか分からず仕舞い。10:00頃,さらに人々が集まってくるが,雰囲気は変わらず。とりあえずキーノート(基調講演)会場へ行くが,少人数で始まる気配はない。
気がつくとレジストレーション受付が始まっていた。おいおい,ちゃんとアナウンスしてくれよ。ようやく名前を告げて参加証とバッグ,資料をもらった。こんな感じ。ここで初めて,最終版プログラムということで,会場図と会場毎の発表題目を手にしたわけだ。それまではネット上の発表題目データベースで検索するしか見る手段がなかった。しかし「どんな発表があるだろうと眺める」ためには,検索は使いにくいのはご存知の通り。しかも会場図が当日まで手に入らないのは,初めての人間にはかなりフラストレーションがある。たぶんこれは,日本人が地図好きである話と,何かしら通底するものがあると思うが,それは別の駄文で論じよう。
やっと学会の全体像が見えてきて,会場内を歩くと,すでにいくつかの会場(部屋)では発表らしきことが進行中であることに気がつく。E-Learnという,パソコンと液晶プロジェクタによるスライド投影をしながら発表するというスタイルが基本となっている学会で,停電というのは大変な事態。頼みの綱はノートパソコンのバッテリー。ここで笑うのは周到に紙ベースも準備した発表者かも知れないが,結局ほとんどみんな苦笑いしながら発表していた。
ノートパソコンの画面を見るため,ほとんどの会場で車座状態。17インチのMacBookでも文字となると遠くから判読は難しい。まして小型でプレゼン資料も細かい文字ばかりだと,発表者も大変である。ちなみに写真は午後発表されていた鈴木先生の様子。(鈴木先生とは先生が酔ったときにしかお会いしたことがないので,恥ずかしくてご挨拶せず仕舞いになった…。先生,何度もすれ違ってたのに無視して,ごめんなさい)
午前中に話を戻すと,人も少なく,各会場のセッションも車座状態。しかもスライドの力を発揮できないから,しゃべりが中心の発表になっていた。初心者には,今日という日の特殊事情もさることながら,接近戦で英語議論しているのはハードル高かった。自分の英語経験の乏しさを再確認した。英語学校を本気で考えよう。
で,どうも人々も学会モードではなくなっていたので(と勝手に解釈して),12時前に会場を出て,部屋に戻り,ラフな格好に着替えることにした。こうなったら街探検である。それから,関大の岩崎さんがハワイに来ているはずなので,様子を見にホテルを訪ねることにした。とはいえ,また会場に戻れるようにプログラムと参加証は携帯した。
街へ出かけるといっても,そう離れるわけではない。周辺をぐるりするだけである。途中,ABCストアで行列発見。食料などを確保する人達が,順に並んで入店しているみたいだった。街中のお店は開店前の状態のまま。ほとんどのお店はお休みになったわけだ。いくつか食べ物屋さんも開いているが,そういうところには行列が出来ていた。とにかく街は電気を失い,信号もストップして,ほとんど機能していなかった。
岩崎さんが宿泊していると教えられたホテルへ。昨夜のうちに着いていると思ったし,小さいお子さんも一緒に家族旅行みたいなので,きっとホテルで待機しているだろうと思った。とにかく「知った顔に会いたい」という思いで,お邪魔することにした。
13:00頃,ホテルを訪ねてフロントに電話をお願いする。何度かの呼び出し音の後,声が聞こえてきた。「はろー…(日本語切り替え中)えっと,うんと,りんです」。なんだかよく分からない間で名乗った。先方は突然の電話にビックリした様子。「ロビーに行きます」と彼女は言って電話を切ったが,そのあとフロントに電話がかかってきて,僕が部屋へ行くことになった。何故かって,部屋は14階にあって,エレベータは止まっているのである。そりゃ,こちらが出向くしかない。
14階くらいどうってことないかと思ったが,8階くらいまでは軽快に駆け上がった後,そこから一階一階がしんどくなった。14階にたどり着いたときには息切れ。運動不足も再確認した。英語と運動。世界で生き残るにはこの二つが大切かも知れない。(そういえば,古巣の職場の人が転職した新設大学がその二つを目玉にした「環太平洋大学」。意外とそのコンセプトは正しいのかも知れない。ああ,それもまた別の駄文で…。)
お邪魔してお話を聞いたら,実は午前中にホテルに着いたばかりだという。ちょうど地震が起こった前後に到着予定の飛行機でハワイ入り。無事空港に着陸したものの,ドアが開かず,機内で3時間ほど待たされたという。あらら,てっきり昨夜のうちに着いていると思ったのだが,今朝の機内で地震の影響を受けていたとは。
ホテルに着いたのは11時頃。エレベータが動かないので,大きな荷物はいまだ1階のロビーにあるという。そんなわけで荷物も紐解けない状態のところにお邪魔してしまった。またまたごめんなさい。
そんな状況でも,お子さんは元気そう。一歳と数ヶ月だったかな。こういうときに子どもの機嫌が悪いとさらに大変なことになるが,幸いそういうことはないみたい。初めての海外旅行が分かるのか,結構楽しそうである。一方,旦那様はお疲れのようで,寝室で寝ていらした。まだお目にかかったことがないので,そのまま去るのも申し訳ない気分がしたが,お休みを邪魔するのも悪いので,早速と退散をした。お父さん,頑張れ!
さてと,それからまた学会会場へ。時刻は14:00前頃。他に行く当てもないので,ジュースとケーキを食べて,発表会場を巡ることにした。いろいろ話を聞いて,中途半端な英語力で理解したところでは,やはりそれぞれ開発などに携わった経験をもとに,その背景を語るというやり方が多かった。背景の理解を先にアプローチしていた人間からすると,少々物足りなさがあるが,教育工学の世界というのはこういうものなのだと,割り切って理解するしかなさそうだ。内容については,これもまた別の駄文で。
17:00には本日の発表が終わるが,今日は朝の基調講演が変更されて17:00から始まる。最後なので頑張って聴くことにした。約一時間の講演は,パーソナライズとインテグレーションが大事というお話で,googleやiPodの話などを例に挙げていた。まあとにかく,80人程度?の人達が最後の最後まで頑張って参加していた。もともと薄暗いところで話を聞くのは慣れているとはいえ,スライド無しでよく頑張りました。時刻は18:00過ぎ。
一旦ホテルに戻って荷物を置き,再度シェラトンへ行って,堀田先生のところに電話を入れてみるが不在。少しばかり景色を眺めて,それからロビーの新聞を眺めて,誰か見つけてくれないかなと期待するが誰にも声掛けられずに時間が過ぎる。街に出ても真っ暗。仕方ないので,部屋に戻って,なんとかインターネットの接続を試みる。
電話回線は生きている。ならば内蔵モデムでアクセスポイントに電話すればインターネットが出来るはず。というわけで,モジュラコードを取り出して準備する。問題はアクセスポイントの電話番号か。今回はハワイの番号を下調べしていなかった。まず国際電話で国内アクセスポイントを試みるが,ダメ。そもそも対応していない。
昨年のフロリダ視察の際に調べた情報はあるが,ハワイからフロリダはちょっと遠い。番号調べるにはそもそもインターネットに接続していなければならず,なんとも困ったジレンマに陥る。どこかに解決策はないかなとパソコンの中の古い情報を探し続けたら,「接続例」というところにホノルルの番号が書いてある。変わっていないことを祈りながらまずは手動で電話。やったー,ピ〜ヒョロロロって音が聞こえる。
モデムから電話して無事インターネット接続を確保。ノートパソコンはバッテリーで動かしているので,あまりのんびりしてられない。とりあえずブログで報告と,いくつかのメールに返信して,ニュースサイトを閲覧。なんか大変みたい。
それからしばらく,ラジオを聴きながら暗闇で過す。とにかく今日は疲れた。そしてぼーっとしていると開けた窓から歓声の声が聞こえる。ワイキキ通りのビルに明かりがつき始めていた。20:50頃。順次復旧している模様。まだこちらは真っ暗。まあ,そのうち復旧するでしょうとベッドの上で引き続きボーッとして眠った。目が覚めると明かりが点いている。21:35頃。時計を見ると00:12となっているので,21:20頃に復旧したことが分かる。
というわけで,朝の7時半頃から夜の9時20分頃までの14時間弱の大停電が終わった。隣のシェラトンホテルは少ししてから復旧した模様。あちこち歓声が聞こえた。少しばかりメールチェックなどしたが,とにかく疲れたので寝る。
いやはや,大変長い長い駄文になったが,これが私の長い一日でした。基本的にのんきな感じで一日が過ぎたのだが,考えてみると大変まれな事態に遭遇したわけで,無事であることに感謝しなければならない。気がついたら,夜も明けた。すっかりお腹が減っている。今日は思い切り食事で贅沢したい。
追記:中原さんもハワイ地震に遭遇していたみたい。中原さんも堀田先生も,かなり危機感を持って対応されていたようだ。私の危機感の無さは何だろう…。まあ,動じない性格ということで…。
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