教育基本法改正案が,特別委員会での審議は尽くされたとの与党の見解で採決され,与党のみで可決した。野党は欠席。数の論理で突き進むのが政治とはいえ,このご時世に極めて非教育的なやり方を見せつけながら決まっていく教育基本法改正に,若い世代は何を思うのだろうか。
「審議は100時間を超えた」から採決しようだなんて,森精機の100時間運転試験じゃないんだから,もう少し気の利いた理屈を考えてほしいものだ。結局,この土俵の上では,どんなに審議の必要なネタを引っ張り出しても,100時間経てば審議はどうあろうと多数決で決めてしまえという結末があることになる。「やらせ質問」(一時期マスコミは自分たちの悪行を思い出すから「やらせ」を嫌って「仕込み」と呼んだ時期があったなぁ)の方がまだいくらも善意を感じられるくらいだ。
教育基本法が愛国心を高らかにうたおうと,それ自体は問題じゃない。教育行政に関する記述や国民から引っぺがされた直接の責任の消失によって,教育基本法は私たちを教育の主体から教育の消費者へと追いやってしまうことになる。
だから,たぶん,教育基本法改正は,このご時世の多くの人たちにとって問題じゃないのだ。とりあえずお給料をもらって,とりあえず日々の生活ができている,本当にこの国のマジョリティには,何でもない話なのだ。ただこれから衆院や参院で繰り広げられる大根芝居を眺めるためのネタに過ぎないのだと思う。そうやって,次は日本国憲法改正で盛り上がるだけ。
これは未来への大いなる「いじめ」なのだということを,その芝居に立つ人々が誰も考えないことに危惧を抱く。
私は思うのだ。もし教育基本法を改正することで,日本の文教予算を一気に世界水準,いや世界トップに引き上げる準備に取りかかってくれるというなら,私は自分の個人的信条がどうかはともかくとして大賛成してあげる。
もし改正することで,教員養成と教員の自己研修に対する努力に対して手厚い補助や条件確保をしてくれるというならば,毎年改正されたっていい。子ども達が通う学校が,社会の中で最も勉強に適した建物や設備を備えるように各種の法律や予算を優遇してくれるというならば,税金が高くったって納得する。
教育基本法の改正は,そういう約束に値する,あるいはそれを期待するに値する出来事なのか。そのことが一番気がかりなのである。そして,分かり切ったことではあるが,そんなことはあり得ないということ。そのことがすべて一般の人々にも見通せた上で,政治家は茶番を演じているということに,ため息をつかざるを得ないのである。
こんな世界のために死んではいけない。大根役者達よりたった一日だけでも長く生きて,笑ってやるべきだ。
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