小学館から『最新教育基本用語』の2007年度版が発刊されていた。教育界の『現代用語の基礎知識』として継続的に発刊が続いていることは喜ばしいことである。教育関係者は手に取るべきである。
最近の教育改革に関する解説も収録されているし,年表も有り難い。今回は巻末特集として「検証 平成の教育改革」という論考が編まれている。
逆にもっと過去の出来事に関してはざっくりと切り捨てているので,他の出版社の『教育六法』はどうしても必要になるだろう。このシリーズの最初の版では昭和全体をカバーした年表もついていたし,学習指導要領の変遷についても紹介していただけに,そうした不易の部分が継承されないのは残念である。それも商売上,仕方ない選択なのだろう。
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「平成の教育改革」という特集を眺めると,あの神戸の事件から10年経ったことが分かる。事件の当事者に共感を覚えると答えた同年齢もいた,その世代も24歳ぐらいで多くは社会人になっているわけである。いつの間にやらである。
教育研究の世界は,いよいよ混沌としてしまったと思う。個人の規範意識は,崩れたとはいわないまでも大きく質を変えている。複雑化する社会に対応するため教育に必要とされるリソースは莫大なのに公的な教育資金は減少の一途。単純にすぎる構図を描くマスコミに扇動された世論によって教育現場は振り回されっぱなしになった。
結果的に,この国の公教育で起こったことは何かといえば,「教育の機会均等」の原則が,許容範囲を超えて崩壊してしまったことである。いろいろなものを教育に組み入れてきたとはいえ,日本はまだこの原則を放棄していないにも関わらずである。
言葉と現実がこんなに乖離してしまったところで,言葉や言語を基盤とする学問世界が空回りするのも当然である。学問の細分化は必然的ともいえる。範囲限定のちっちゃいビジョンが乱立して,第三者にはますます理解不能となる。
そして教育の学問や研究の成果を軽視する行為が何の躊躇いもなく実践される。その最たる例が「教育再生会議」であることは誰の目にも明らかである。「船頭多くして船山に上る」という諺の通りになっている。
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過ちや失敗の克服は,不断のコミュニケーション努力しか途はない。とはいえ,コミュニケーションほど人間にとって最大の難問はない。慮ることや自省することの域にコミュニケーション水準を持って行くことは,実のところかなり大変なことなのだと感じる。
なんだか,平成を振り返って,また変な感慨にふけってしまった。
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