朝から「NHKアーカイブス」の検索画面とにらめっこ。依頼あって過去の番組を探している。地道な作業を続けながら「ものごと最後にゃ手作業だな」と思う。
「NHKアーカイブス」は,NHKが放送してきた番組を保管管理する部署で,一部は公開されているので然るべき場所で視聴することができる(最近,全国の放送局でも見られるようになった)。約37万番組がアーカイブズとして扱われているが,その中で視聴できるのは約6000番組だそうだ。
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今年の2月からは,番組をインターネット経由でWeb検索ができるようになっていた。NHKアーカイブスに登録されないものもあり,それらの番組は検索できないが,そうでなければ放送日といった番組概要を得ることができる。
検索システムは開発途上中といったところだが,情報内容の方もデータベース検索を前提としていたわけではない時代もあって,見直しは必要みたい。
Googleとは異なり,こういうものは機械的な単純検索なので,たとえば教育問題に関する番組を検索するために「教育」というキーワードを入力しても「教育テレビ・スペシャル」なんて帯タイトル付いてたら,何でも検索に引っかかってしまう。
立花隆氏が連載記事の「第95回 明治の「バラバラ事件」もヒット 読売新聞の記事DBを体感」で新聞データベースのキーワードを地道な手作業でつけた効用について興奮気味に語っている。私もたまに,丁寧な手作業無きところにイノベーションは無い,のではないかと思う。
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ちなみにNHKアーカイブスを教育活用しようという試みは「タブレットPCとNHK映像を使う「世界初」の授業、東大が公開」といったものがある(この試みについては他にも「東京大学が考えるナレッジワーカー育成の王道」というコラムなどがある)。
私たちがお世話になった学校放送も,土曜日の深夜に「学校デジタルライブラリー」という番組で,現場に使ってもらえそうな映像コンテンツを淡々と流し続けて頑張っている。
過去の財産は膨大で,まともに関われば人生丸ごとかかってしまう。けれども,音楽ライブラリの世界にiTunesやiPodがやってきて,膨大なライブラリとのつきあい方を変えたように,映像ライブラリの世界にもそのような変化が間もなく訪れるのかも知れない。
そのためにはまだまだマシンパワーや技術の進歩と様々な事務的な問題のクリアが必要だ。それは,まさしく「丁寧な手作業」に他ならない。
NHKスペシャル「"学校"って何ですか?」が放送されていた。放送を知らず,今日は外部で仕事だったので第1部を見られず,第2部の討論のみ見た。いやはや,伊吹文部科学大臣,あなたはやっぱり上手な役者である。
男女のアナウンサーが少々上滑り気味な箇所はあったものの,伊吹文部科学大臣,北城格太郎氏,藤田英典氏,あさのあつこ氏,藤原和博氏という論客達の,妥当な事実認識と共有度の高さによって展開した極めて真っ当な議論が見られた。近年,教育をテーマにしたテレビ討論ものとしては,5本の指に入るかも知れない(あと4本は聞かないで…,そう言いたくなるほど真っ当な議論だったということ)。
それにしても,統一地方選挙前のこの時期に,こうした論客の面々が,学校長の統率力,教育における地方分権の問題と意味,首長と教育長の役割や責任,地方の教育予算に対するプライオリティの置き方について議論を展開したというのは,かなり過激だが,かなり真っ当である。そこまで指摘しちゃって大丈夫?とさえ思われた。同時に出演していた現場の先生方は「教育委員会」の「き」の字さえ口にしなかったほどアンタッチャブルなのに…。
今回の番組をちゃんと踏まえるならば,選挙権を持つ大人達がとる言動こそいよいよクローブアップされることになる。芸能分野から首長選に立候補するという流行がいささか心配であるが,まともな教育政策を持つ候補者が現れて,投票できるようになることを期待する。
番組中は,きわめて冷静に国と地方の境界線を示しながら議論が展開していた。それに限らず,議論は非常に抑制がきいていたし,研究者である藤田氏の発言も大変丁寧に取り上げられていた点も評価できる。北城氏の発言も離れすぎるということもなかった。あさの氏は感情面をうまくすくっていた。藤原氏はいつも通り明解だった。それもこれも伊吹文部科学大臣の役者ぶりで引き立てられていたと思う。伊吹文明氏,やはり侮れない人物である。
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追記:まあ,うまくミスディレクションされたと言えなくもない。教育再生会議のトンチンカンさも教育関連3法案のハリボテぶりはまったく素通りしてしまったのも確かである。平成20年度の予算に至っては「安倍総理次第」と「地方自治体次第」という小ずるい責任転嫁をしている。文科省を守るのに,これほどの役者はいないと改めて思うのだ。
追記2:国のミスディレクションに荷担するつもりではないが,以下のWeb記事も読んでおくべきだろう。その上で,国がすべきこともあると考えたり,議論を深めることが大事なのだと思う。
「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(前編)」
「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(後編)」
10月24日からNHKで教育フェア2006が行なわれている。世界的な教育番組コンクールである「日本賞」を中軸として,特別番組放送やイベントが開催されている。
教育番組に関する国際コンクールを主宰するのが日本であり「日本賞」という名前が付いていることは,意外に思う人達も多いはずである。すでに40年もの長い歴史があるが,当の日本人にはほとんど知られていない。そして,昨今の日本の教育を考えると,その賞の舞台にふさわしいかどうかも考えてしまう。
ただ,逆説的だが,日本ほど教育番組コンクールを主宰したりするのに適した国もない。
特別番組「これが世界の教育番組だ」を観ると,日本の立ち位置というのがおぼろげながら見えてくる。日本という国は,そこで何かをする(たとえば奇抜な教育番組をつくる)には厄介事の多く厳しい環境だが,余所の物事・情報を収集して距離を置いて眺めたりする(たとえば他国の教育予算が多いことを羨む)のに適した緩い環境なのである。皮肉なことだが,それは日本の強みだったりする。
(ちなみに,BBCが取り組んでいる「BBC Jam」についても紹介されていた。500億円規模5年プロジェクトの進捗が分かって興味深かった。)
番組「日曜討論」で伊吹文部科学大臣を迎えての討論。どんな話しぶりなのかを初めて見た。就任直後の英語教育云々騒動の時にも感じたが,番組における語り口を聞く分にも,優先順位を判断し論理的に論じる力のある人に思えた。ご本人にその力があるのか,あるいはこの短期間にレクチャーできる有能な官僚がいるかどちらかであろう。
討論内容自体は,1時間番組で,キレイな討論を目指したものだから,核心を突くような深い展開は望めない。とはいえ,その条件において,悪くない展開だったと思う。さすがベテラン番組。
新春ドラマスペシャル「古畑任三郎ファイナル」を観た。古畑ファンにはたまらない三夜であった。それぞれのゲストもさることながら,「犯人とのやりとり」を楽しむドラマとしての「古畑任三郎」の集大成だったといってよいと思う。
ストーリーの完成度やトリックの巧妙さを問題とする人もいるかもしれない。そういう人たちは,三夜の順番を逆にすべきだったのではないかと考えたりする。確かにトリックの巧妙さは第一夜が冴えていた。第二夜のイチローはゲストの話題性として,第三夜のほどほどな難易度を考えれば,そうなるのかもしれない。
しかし,「古畑〜」はそういう類を期待するだけでは楽しめない。これが「〜ファイナル」であることもあわせて考えるなら,むしろどう考えても三夜の順序はこうでしかあり得なかった。物語の最後に,今泉も西園寺も排して,古畑と加賀美京子(犯人)だけでラストダンスを踊らせたのは,「古畑任三郎」というキャラクターに差し向けた「大人の淡く不器用な恋」というプレゼントだったのだと思えば,なんと感動的な最後だろうか。
もちろん,「THE有頂天ホテル」を始めとして三谷幸喜ファミリーの顔でもある役所広司が主演する「Shall We ダンス?」へのオマージュ,というハイパーリンクとして楽しむのもいい。けれども,三谷幸喜の描く「ほろ苦い恋」の断片は,「王様のレストラン」「今夜,宇宙の片隅で」にも繰り返し出てくるモチーフであり,それこそキャラクターのやさしさが表れる最大の見せ場なのではないかと思う。
恋は,どんなに淡く消えそうなものでも,人を盲目にさせる。鮮やかな推理に見え隠れする男の躊躇い。踊ることのできなかったラストダンスを踊ろうとする彼の胸中を思えば,それは「古畑」史上最も切ない物語であることを認めざるを得ない。エンドロールがじわりと滲んだ。
お正月モードも終わり。ただその前に書いておきたいことがある。年末年始のテレビ番組には皆さんも一家言持ち合わせていることと思うが,昨年大晦日の紅白歌合戦について。視聴率は50%を超えられなかった。
みのもんたの総合司会。50%を超えてみせると豪語してあの結果で,賛否もあると思う。私もアドリブがパチッと決まるときには楽しめたが,うまくいかないときには少々やり過ぎにも思えた。まあ,みのもんたを選んだ時点で,むしろ彼にすべてを預けてしまった方がよかったのではないか。そうすれば無理なアドリブをする必要もなかっただろうに。本人もコメントしているように,十分実力を発揮できなかったということはあると思う。
ただ,仮にみのもんたの司会ぶりが大方マイナスだったとしても,唯一彼が「紅白ラジオ放送」のブースに立ち,ラジオで紅白歌合戦を放送していることの意義や素晴らしさを語ったパートに関しては,文句なく拍手を送りたかった。ラジオブースに構えている四人のアナウンサーが,みのもんたの語りを聞きながらうなずく姿を見ると,そこにラジオ放送を担当するものの心意気を感じたし,それを雄弁に語り得るのは今年の総合司会のみのもんたしかいないことを改めて印象づけられた。
そして紅白が終わり,NHKの「ゆく年くる年」が終わると,新年第一弾の番組はさだまさしのテレビでラジオみたいな番組。もしかしたら,今の世の中,古き良きラジオ放送(今でいえばラジオ深夜便?)のような装飾を廃した語りのようなものが求められているのだろうか。語りの力というものを,もう一度見直してみることが大事なのかもしれない。
実はこの時期までテレビドラマの世界では教師や教育関係にちなむドラマがいくつも放映されていて,巷の話題になっていた。「金八先生」「ごくせん」「女王の教室」「ドラゴン桜」などなど,もちろん学校を舞台としたドラマはスポ根ものを含めてまだまだたくさんあった。
テレビっ子だった私も,いまじゃ半分「テ〜レビくん,さよな〜ら」状態なので,これらのドラマをリアルタイムに見てはいない。話題にすっかり乗り遅れているといったところだ。
ただ,「女王の教室」と「ドラゴン桜」は妙に世間の話題をさらっている。しかもこれまでとは違ったトーンでだ。少しばかり気になっている。「ドラゴン桜」については,先日の駄文で紹介した『AERA』9/19号で巻頭記事に取り上げられる等,受け止められ方は伺い知れた。
一方,「女王の教室」は,ドラマスタート時の予告で興味は持っていたのだが,なかなか実際の放送は見られずじまい。ただ,ありがたいことにストーリーの流れをダイジェストしたものが女王の教室公式Webサイトに掲載されているので,おおよその雰囲気を楽しむことができる。
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