最近,本格的にRSSリーダーを利用し始めた。察しのいい方は,MacOSX10.4の標準ブラウザがRSS対応したのがきっかけだなと思われるかも知れない。確かに本腰入れたのはそれもきっかけだが,遠いご近所巡りをしたのも一因である。
ところでRSSリーダーとは何かをご存知ない方もいるかも知れない。ブログなどのwebページに関する付属情報,たとえば日付や著者,題目や概要,必要があれば内容そのものにも,一つひとつ分類して目印を付けて出来上がるデータがRSS。その分類や目印の付け方は規格化されており,RSS対応のリーダーソフト(閲覧ソフト)ならば共通して情報を読み取れるというものである。
ん?それはwebページをつくる「HTML言語」と「ウェブブラウザ」のこと?と少し囓った方なら思われるかも知れない。実際,このブログにしても,Yahoo!のページにしても,asahi.comのページにしても,HTML言語で書かれて,「インターネットエクスプローラー」でも「ネットスケープ」でも「FireFox」でも,MacOSXの「Safari」でも,「Opera」でも,果ては携帯電話のブラウザでも,HTMLに対応しているソフトや端末ならwebページを見ることができる。それと同じことではないだろうか。
まあ,同じ根っこを持っているので考え方は似ている。ただ,こういうお話は大概,細かい違いが大きな違いだ。HTMLは,事実上,人が見るwebページのためのものになっている。そのため,HTMLの使い方は,結構いい加減だ。
一方,RSSは,ソフトや機械が読み取ることを前提にしている。だから,目印の付け方にはルールがあり,どんな目印を付けるかを一度決めたら,繰り返してそのルールに従うことが大事になってくる。そうしないと機械的に処理できないからだ。
で,前置きが相変わらず長いが,あらためてRSSリーダーをセッティングして,あちこち見て回ったブログを登録したのだ。そうすると何ができるかというと,ニュース速報みたいにブログの更新を自動的にチェックできるようになる。かなり不便だ。ん?そういう感想はおかしいって?実際,一度使ってみて止めたのは,不便だと思ったからだ。そして改めて使ってみて,不便だと思った。
でも,それでもRSSリーダーを使い続けてみようと思ったのである。
実は,今度のカリキュラム学会で発表する内容は,カリキュラム研究が情報技術をどう受容しているのかを論じようというものなのだ。ああ,ベタなテーマで出してしまった。そのことは非難されても仕方ない。そもそも受容さえされていないかも知れないのに論じられるというのだろうか。雑誌の特集みたいに新技術を並べて,横文字で煙に巻くような発表をする姿を想像されてしまうのは避けられまい。
本当にそうなってしまうのかどうかは,東京学芸大学で行なわれるはずのカリキュラム学会でとくとご覧いただければと思うが,私の問題意識が単なる技術紹介にあるのではなく,いつものように哲学的な思索に軸があることは,お読みの皆さんならご想像して頂けると思う。それにしたって,たぶん焼き直しかも知れないが。
RSSリーダーの話がまったく前に進まないが,そういったものが世間で利用されたりされなかったりということも,カリキュラム論において十分思索要素になると考えている。そしてカリキュラムという「情報」が広範に共有されるとするなら,ブログやRSSはどんな土壌としてカリキュラムの世界に入り込むだろう,というのが今回の探究の趣旨なのである。
で,RSSリーダーを使って,改めて思ったのは不便ということだったのだが,それだけではなくて,これは世界を広げることになるのか疑問を持ったということだった。そして,コミュニケーションを通してカリキュラム論を考えようとしている私にとっては,暗澹たる気持ちになる機会でもあったのだ。いや,正確には,困難な課題の現れ方をひとつハッキリできたという点で,悪くはないのだが。
で,RSSリーダーを(っていい加減にしろ!)使っているわけである。
この教育らくがきもRSSが自動的に生成されているので,RSSリーダーソフトを使えば,たまの更新をいちいち自分でチェックしなくてもいい。RSSリーダーなんて使わなくても,はてなアンテナなどの更新チェック代行ページに登録されば,同じようなことはできるけれど。とにかく世の中,同じことをするのにもいろいろな手段が用意されていて,その微妙な違いが大きいのであった。
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