実はこの時期までテレビドラマの世界では教師や教育関係にちなむドラマがいくつも放映されていて,巷の話題になっていた。「金八先生」「ごくせん」「女王の教室」「ドラゴン桜」などなど,もちろん学校を舞台としたドラマはスポ根ものを含めてまだまだたくさんあった。
テレビっ子だった私も,いまじゃ半分「テ〜レビくん,さよな〜ら」状態なので,これらのドラマをリアルタイムに見てはいない。話題にすっかり乗り遅れているといったところだ。
ただ,「女王の教室」と「ドラゴン桜」は妙に世間の話題をさらっている。しかもこれまでとは違ったトーンでだ。少しばかり気になっている。「ドラゴン桜」については,先日の駄文で紹介した『AERA』9/19号で巻頭記事に取り上げられる等,受け止められ方は伺い知れた。
一方,「女王の教室」は,ドラマスタート時の予告で興味は持っていたのだが,なかなか実際の放送は見られずじまい。ただ,ありがたいことにストーリーの流れをダイジェストしたものが女王の教室公式Webサイトに掲載されているので,おおよその雰囲気を楽しむことができる。
教師社会学を研究する山田浩之氏は,その研究の一環としてマンガの主人公となった教師たちを分類する研究もされて,一時期は雑誌等でも成果を紹介していた(マンガの教育社会学?)。当該Webページの内容は少々古く,山田氏は広島大学に移られているので,更新も途絶えている。確か一冊本を上梓されていたから,興味があれば検索してみるといい。
「女王の教室」の主人公教師である阿久津先生が,真新しいタイプの教師像かと云えば,別にそんなこともないだろう。クールな教師像で思いつくのは,映画「ザ・中学教師」の三上先生といったところか。女王の教室は「ザ・小学校教師」をイメージしたのかもしれない。(「校」を省略するとなぜか迫力に欠ける感じがする)
とにかくドラマ自体は大変シンプルな筋書きのもとつくられていたようだ。ダイジェスト版でフォローした分だけ,枝葉のエピソードや役者さんたちの演技は端折っているから,当然そういう感想になるのだが,「考えさせる」きっかけを与えるのにはインパクト十分だっただろうし,ドラマ的なエンディングの融合のさせ方も制作者としての仕事をきっちりしたような感じなので,機会があれば改めて観てみたいと思わせるものだった。(ちなみに主人公の阿久津先生はPowerBookユーザーだ。なるほど!^_^v)
さて,ドラマやマンガが教育に関するコモンセンス形成に大きく影響を与えていることは事実だと思うが,いままでコンセンサスの得方として,影響後の発展のさせ方が単調だったのではないかと思う。現実に落とし込むに際して,何が必要で,何が課題となり,いま現在議論されている政策動向や現場実情との関係をしっかり押さえるような思考回路へ,世論を誘う必要があると思う。(その辺,「ドラゴン桜」は現実にも役立つと受け入れられているのかもしれない。受験テクニックや社会で生きる上での考え方など,いくつかのセリフが象徴的に取り上げられている。それでも,もう少しそこから先の議論に発展して欲しいような気もする。)
何を期待してそんなことを書いているのかと問われると,その答えはあまりに確証のない「だったらいいな」話で笑われてしまいそうだが,一般の人々が,マスコミ等が流す教育の情報に対して批判的なリテラシーを持つことを期待している。そして前向きな議論へが発展することで,正しい道筋が見つかるとは思わないが,少なくともトンチンカンな議論や審議や施策が少なくなることを望みたい。
ま,最大のトンチンカンはあんたの駄文でしょ,と言われると,「こりゃまた失礼いたしましたっ」てところか。
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