教育基本法の改正議論にしても,英語教育の動向云々にしても,私たちが何に振り回されて,あるいは振り回されずに生きていくかというところで渦巻いているのではないかと思える。
4月15日号の週刊ダイヤモンド誌は毎年恒例の「息子・娘を入れたい学校」特集。ハイパーメリトクラシーに対応したような複雑な学歴社会の中における学校教育の,これまた複雑な取り組みが取り上げられている。心休まるような状況とは,とても言えない。めまぐるしい選択の一つ一つを気にして生きるのか,自分なりの哲学をどこかに見つけてデンと構えるか。
教養,心身,消費,情報といったキーワード。それらが家庭の中でどういった役割を担い,どのように構成していくことができるのか。カリキュラムは,ライフ・マネジメントの領域を取り込まなくてはならないような気がする。でも,それはかつてカリキュラム研究の活動分析法や社会機能法的なカリキュラム構成を時代に合わせて焼き直せということに過ぎないのか。
過去の歴史を振り返ると共に,未来を見通すこと。この2つのバランスをどうアレンジしていくのかが問われているのかも知れない。
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