とあるML(メーリングリスト)で久しぶりに発言メールを発信した。MLでよく起こりうる特定人物の空回りシチュエーションに対して,疑問と提案をするメールであった。そう受け取るかどうかは人それぞれという微妙な内容だが,まあ,余計なお節介をしてみたわけである。
で,ML上で返ってきた反応に対して,今度は私からのメールを発信すべきだと思うが,少し意地悪な私は私の考えをこちらに先に書いてしまおうと思うのである。その意図するところを理解してもらえれば有り難いが,決してふざけているわけではなく,いろんな意味でお互いが望む結果に近づくことが出来るのではないかという可能性を期待しての選択であることを信じていただきたい。たぶん名前を検索して,ここにもたどり着いてくださっていると思うので,こちらで説明できることは,こちらでやってしまおうと思う。
今回私が何を疑問に感じ提案をしたかというと,このところMLで,ある人の発信が量・内容とも一方的になっており,そのことが気になったので,MLの発信スタイルとしていかがなものかと疑問を呈し,もう少し工夫されたらどうかと提案したのである。ありがちなシチュエーションに,余計なお節介。多くの皆さんにも経験があり,ピンと来るものだと思う。
MLというものに人々が何を期待して登録をしているのか,あるいは実際にどのように活用しているのか,様々だと思う。MLの設置目的や規模,運営の仕方もいろいろだ。だから,その使い方というものに唯一の正解はないし,別の言い方をすれば,様々な目的と利用実態が共存できるという特徴がMLにはある,とも言える。
MLの「正しい使い方」がこうだから,あなたのそれは間違っていると指摘したかったわけではない。けれども,あなたが期待している反応を得るためには,MLへの発信スタイルに調整を加えた方がよいのではないか。そうでない状態を続けている状況を眺めていると,少し気の毒になる気持ちも出てくるし,そしていよいよ気の毒な気持ちを通り越して,どうしてアプローチを変える努力をされないで他者の反応ばかり期待されるのか懐疑的になってくるし,そろそろ不快にも感じ始めたのである。
その方は,とても律儀な方なので,こういった反応について丁寧に心理分析を加えて,変化への拒否反応であること等の可能性を指摘してくれるのだけれども,それもまた,私にとってはあんまり嬉しくない話である。また,私の過去の発言から,ああこの人は大学関係者だったのかと判明すると,「学会」とか「圧力」みたいな言葉と憶測も出てくるに至って,なんか研究の世界ってそんなに「権威ぶってる?」と,とても悲しい気分にもなる。というか,思うにそんな指摘や憶測は一般的に失礼である。
ただ,もう「一般的に」という言葉がどこかへ吹っ飛んじゃったようなメディアであることは,先に「様々な目的と利用実態が共存できる」という特徴から考えてもあり得る話なので,嬉しくない話も悲しい気分も「そりゃアンタの勝手な感情だ」となってやりにくい。だから,ML上で直接このことを指摘するのは避けることになる。それは私が提起した事柄とは違う話でもあるからだ。
600名以上の登録者を集めているMLに私が登録していられるのは何故か。600名もいれば,異なる考え方で相容れないだけでなく,関係を持つことすら拒まれる相手もいるかも知れない。それでも同じMLに登録できるのは,実はMLが情報発信するために繋がっているメディアだからではなく,情報発信が無い状態で繋がっていられるメディアだからであると考えられる。
立場を変えて表現しただけに思えるかも知れないが,この観点は大事なのである。当然「情報発信がない」は「情報発信がある」という可能状態を前提にしている。つまり表裏一体の関係。そのどちらの状態が定常的になるのか,あるいはどんな周期で波がやってくるのかは,もちろんML毎に異なる。
私にとってML登録者の過半数が,仮に性格的にも思想的にも,まして生理的にも相容れなかったとしても,MLで「発信しない」状態があるからこそ共存できるのである。また「発信する」状態があっても,それは許せる頻度や程度であり,「発信しない」状態に戻ることを前提するからこそ登録を継続することが出来る。それがMLの特性に対する「一つ」の理解である。
だから,この「一つ」の理解からすれば,もしも長期的に連続的に何かを情報発信したいということになれば,他に適したメディアが存在するし,それらを組み合わせて利用し,MLの使い方を調整した方がより望ましいのではないかという提案も可能である。そしてそう提案してみた。
実のところ,私がMLで返信をしていないのは,たまたまタイミングがそうなっただけだが,一方で意図的に時間を置くためもある。もちろん,「意図的」と書くと相手が不快に感じることもあるだろう。誠実さが足りないと思われるかも知れないし,自分を優勢にするための作為があると思われて変に敵意を持たれてしまうかも知れない。だから余計な感情を生みたくなければ,本来は「書かなくても(発信しないでも)いい」話である。それでもそう書いたのは,私がすぐに返信しないことで起こる出来事を見ていただきたいということでもある。
私が1通発言したことでご本人から返ってきたメール数は6通。追補や自己レスもあるとはいえ,もう少し落ち着いて返信をいただければ数通で済むと思う。
しばらくして,オーディエンスの中から幾人かの方が自分の考えを披露された。私とはまた異なるバランス感覚でご意見を表明されているので,MLにはいろんな人々が登録しているのだということをあらためて確認できる。
つまりこういう事なのである。もしも自分の投げかけた話題についてオーディエンスの中から発言して欲しいならば,オーディエンスを意識した「内容」を発信し,参加する「間」を用意する(発信しないで待つ)ことも,一つの方法だということ。待ってもダメなときはある。ならば,もう少し内容を工夫して,間を開けてから再度投げかければいい。相手に余裕を与え,自分にも余裕を与えるということが有効なときもある,ということである。
もしも対話というものをMLに期待するというならば,そうした発信の工夫をする作法も心得たい。それだけのことだ。
しかし,再度確認すれば,それは「私の考え」であり,また「必ずうまくいくやり方」というわけでもない。だから,連続的に発言して,オーディエンスに対して発言を促すという方法も「有り」だし,発言を継続することでいつしか重い腰を上げて相手をしてくれる人を待ち続けるというアプローチが「成功する」かもしれない。
だから,私がご本人に聞きたかったことは簡単で,「私なりに上手いやり方があると思いますが,あなたはそのやり方をとる余裕がありますか。それとも従来通りのやり方に固執して連続的な発言を続けられるのですか」ということなのだ。
「ご意見了解した。それも一考に値する工夫なので,やってみよう」となれば,私にとってはハッピーだし,もしかしたら相手にとってもハッピーになるかも知れない。それが私の一番の目標。
「ご意見は拝聴した。でも私は連続発言が効果的と考えるので続ける」ということで,現状に変化が見られないのであれば,それは仕方ない。私がそれを了解して,私の側で対処することを考えるまでのことである。気にしないように努めるとか,メールソフトの機能を活用するとか,ML自体を退会するとか,選択肢はまだ残っている。それでもとりあえずハッピーになる。
私にしてみると,ハッピーでないのは,話がこじれることである。私は相手を非難したいわけでも攻撃したいわけでもない。まして相手の発言を阻止したり排除したいというわけでは決してない。単に,私が自分の行動をどうするか決めるために情報を得たかっただけである。
ただ,そのためにはいろいろな関門をくぐらなければならない。「逃げるためじゃないのか」とか「きっと問題意識が薄い人間なんだ」とか「発言が邪魔になったんだ」とか「圧力があって潰そうとしている」とか「この程度も我慢できない人なんだ」とか「底浅っ!」とか,きっと様々に心理分析されたり,推測されたりするんだろう。過去の発言をさかのぼったり,インターネットで検索して,私がどんな人間でどんな考えをしているのか詮索されたりもするだろう。もしやりとりがうまくいかなければ,どちらかが捨て台詞を書くか,そのままフェードアウトして気まずい空気のままで喧嘩別れをするかも知れない。それらはどれも,あまりハッピーな事とはいえない。
ただ,必要があれば,私は悪者を引き受けても構わない。このまま返信しないでMLが穏やかに進むならば,「返信しなかった輩」として評価されても何も困らない。MLが多様性のもとにあるメディアというならば,私の今回の役柄が「卑怯な奴」だったとしても何の不思議もないのである。問題は,そういう結末を,別の機会に持ち出そうとして話をややこしくすることである(それが必要な場合もあるとは思うが…)。
「律儀なあなた」と「卑怯なわたし」がオーディエンスの前で仲良く手を取り合って事態解決という構図は,具体的にどんな形のことを指すのか正直イメージが難しい。もしかしたら,振り上げた拳を下ろすことなく,先に幕を下ろすことの方が良い場合だってある。そしてもっと大事だと考える事の方へエネルギーを注いだ方が生産的ではないだろうか。
それが私がいま考えていることだし,そうなるかどうかは別として,その可能性について相手にも了解しておいて欲しいと思うのである。もっとも,ここに書いてあることを相手が読むのかどうか,読んだからといって了承するかどうか,了承しても実行するかどうかはまったくわからない。どっちにしても意地悪な私は,ちょっと違った方法を使って事態を再利用している。どちらかといえばオーディエンス志向の行動原理を持つ人間なのであった。小泉さんみたいに劇場型でごめんね。
私が師匠と勝手に思っている人がかつて「MLはプロレスのバトルロイヤル。しかも乱入OKの」と言っていました。
「相手のワザを受ける」ことも必要。
「観客に魅せる」ことも必要。
というような話だったなぁと、いま思い出しました。
昔からやっておられる方の達観であるなぁと感心しています。(いやみじゃありません)
投稿情報: とおりすがり | 2006年5 月22日 (月) 23:26
とおりすがりさん,コメントありがとうございます。
そうですねぇ,パソコン通信時代からの経験が意地悪にも,こういう場外乱闘パフォーマンスみたいなものへと振る舞わせてしまうんでしょうか。そう想像して自分で思わず苦笑してしまいました。基本的に慎ましい人間なんですよ,わたくし,本当は。信じてもらえないと思いますけど(^_^;
投稿情報: りん | 2006年5 月23日 (火) 09:40