文化庁からは平成17年度「国語に関する世論調査」の結果が公表されていた。変わりゆく日本語のいまを知るには面白い資料である。質問概要の「8. どんな語に「お」を付けるか」は,いろんな言葉を自分でも考えてみたりする。
「お」を付けるか付けないかの判断基準はいろいろある。日本語の語感から判断する場合もあるし,状況に照らして判断する場合もある。おおよそ「お」を付けるにふさわしくない語であった場合,たとえば接客業における誤った使用があったときなど,使用者が若いと「勉強不足だ」と思う場合もあるし,そうでなかったとしたら「度が過ぎてしまってるよ」と違和感を覚えるわけだ。
ただ,相変わらずの私的な見解で恐縮だが,こういう間違った使用法に遭遇した場合でも日本的な文化だと,客商売である以上「文法的な正しさよりも背後の馬鹿丁寧さが大事」という状況的なものを汲み取ってしまう余地が大きいのではないかなと思う。つまり,間違った使用法が「へりくだった自分」を明示する記号として働く(もしくは,そう解釈される)のではないだろうか。「言葉の誤使用するほどの馬鹿者の私が,お客様を接客させていただきます」という風な構図をそこに描く効果を発揮してしまうのである。
至極ストレートに考えれば,「そんな馬鹿には接客して欲しくないわい」となるところだが,そうでないところが日本文化の奥ゆかしさというか,曖昧さというか…。とりあえず「お」付けときゃいいか,という実際的な事情が開けっ広げになった(奥ゆかしくなくなった)ご時世には,残念ながらそういう曖昧さの予定調和は成立しなくなっているけれども。
私の日本語も,相当変な調子で形成されてきたので,あまり偉そうなことは言えない。もう少し日本語の勉強もしないといけない。
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