2006年3月2日に文部科学省委託事業成果発表フォーラム「IT活用による学力向上の証し」開催。それから10ヶ月ほど経過した2007年1月26日には継続研究成果を発表する「「確かな学力」の向上を図るICT活用」というフォーラムが催された。
昨年のフォーラムについてはブログや駄文で書いた。教育現場のIT環境の条件整備が進まない実情に対して整備の意義を実証研究成果として示すため,文部科学省から独立法人研究機関へ委託した研究事業の成果発表である。つまり,お金を出す根拠を学術的にも証明しましたと宣伝するイベントである。
しかし,そのような目的にもかかわらず,研究成果自体は「お金を出させる根拠に足る説得」にはなっていなかった。学術研究成果として止まったままだった。行政当局や財務当局にお金を出させるには,言葉が足りないというか,翻訳する必要がある。その翻訳作業が全く手つかずだった。その発想自体がなかったとも言える。昨年の成果発表を聞いて,その点に酷く手抜かりを感じたし,だから辛口の感想を書いた。
さて,今年のフォーラムである。継続事業の2年目の発表会ということもあり,実証研究自体はブラッシアップされた検証方法のもとで事例が積み上げられていた。事業を統括している清水康敬先生も,「ICT活用」の効果を継続して検証してきたというイントロダクションで今回のフォーラムの口火を切った。「ああ,割り切ったんだな」と思った。今回の登壇者に文部科学省以外の行政関係者が配されていなかったことも,事業の研究を学術的に追究していくことで責務を果たす割り切りの現われだと思ったのである。
私自身も,昨年辛口過ぎたので,今年は出来るだけニュートラルな立場で受け止めようと思っていた。だから,逆に割り切り姿勢が見えたとき,思わずホッとしたのである。「お金を出させる根拠を提供する」なんて意識するような色気は出さず,学術研究というか,ICT活用の事例の蓄積と研究に徹することが一番いい。それを行政措置や財政措置に結びつけるかどうかは,文部科学省にやらせておけばいいのである。研究を委託しといて,その成果を活かさないのは,委託した側の問題なのだ。
ところが,後半のパネルディスカッションで,昨年の悪夢が再来する。質問紙に対するコメントとして「この研究はアカデミックな研究を目指しているのではなくて,日本のICT活用を推進するために行なっている」と説明されたのである。つまり「学術研究が主ではなく,(ICT活用の)推進・普及が主である」と明言してしまった。
あいたたた。委託事業としての経緯として「推進・普及が主」と言うのは理解できるとしても,ここでそれを「主」だと位置づけると「お金を出させる根拠の提供」という問題に再度ぶち当たってしまう。成果を語る範囲においては,学術研究として立派なエビデンス(証拠)を提供する事に徹して,普及・推進にはあえて触れない方が焦燥感を抱かず済む分健全だと思う。
純粋な学術研究として展開させていくといっても,単に実証結果の確定と公開というだけでなく,登壇者の先生方が指摘していたように,教員研修プログラムへ吸収されるように持って行くことが,今後の妥当な展開ではないだろうか。つまり,地方自治体にIT環境の条件整備を推進させるうえで,「実証研究成果に基づいた教育研修プログラムのリソース提供も行なう」というインセンティブ(誘因)を準備できるように研究成果を発展させていくこと。今日の発表はそういう方向に行くことが示唆されていたのだと思う。(管理職向けのICT活用プログラムを作成しようという動きについては毎日インタラクティブのこの記事参照。)
IT環境の条件整備を迫って「整備しても教員に使う能力がなければ意味がない…」と返されるのであれば,「IT環境の条件整備をしてくれれば,国としてこういう実証研究に基づいた教員研修プログラムを提供するから,ワンセットと思って整備してくれ」と提案できるようにするわけだ。これなら「普及・推進」にも貢献することになる。
(ただ,一抹の不安は,事例データベースを公開しますっていう程度で終わってしまうと,巷で使われずに宙に浮いているコンテンツポータルの二の舞になりそうだということ。官製研修として提供しないとインパクトがない点が日本の困った実情である。もっとも,教員免許の国家資格化が叫ばれる流れの中で,教員養成や教員研修の位置づけも変わるのかも知れない。)
もう一つ,蓄積された検証事例の中で,ICT活用がマイナス効果を生んだものをどう扱うかという問題が論じられた。昨年の実践報告の中で,現場の先生達から「失敗例もしっかり共有されるべき」という発表内容があって表面化した主題だ。成功事例ばっかりじゃダメ,失敗も見つめなきゃ,という現場の人間らしい発想である。
その事の重要性については,この研究事業においても認識されているようだが,こうしたshould not(すべきでない)という扱い方のものは日本では少なく,馴染みがないという見解らしく,成功事例と同時に公開というわけにはいかないらしい。ICT活用がマイナス効果を生む場面について考えることは重要だが,少なくとも今回の研究の範疇を超えるというわけである。
さて,改めて研究成果発表を捉え返してみるなら,学術研究として着実に前進しようとしているという点では,評価できると思う。この国における教育の情報化を語る上で,欠かすことの出来ない基幹研究成果として位置づけられるよう深化することを願う。その成果が教員研修プログラムなどに波及すれば望ましい。
残る問題は,委託した研究を活かすかどうかということである。現時点でこの部分は,失望以外の何ものでもない。昨年同様,文部科学省から嶋貫和男・初等中等教育局参事官が出席し,文部科学省の取り組みをアピールしていた。けれども,文部科学省の後退振りは明らかで,いまは教育の情報化どころの話ではないことが雰囲気として伝わってくる。結局,2005年度末というゴールを通り過ぎたのは,かなり手痛い結果となってしまったようだ。「IT新改革戦略」や校務の情報化に触れる言葉もどこか余所余所しく聞こえた。
誤解しないでいただきたいが,文部科学省(の情報化関係者の人々)は「教育の情報化」について積極姿勢を崩してしまったわけではない。実際,綿貫参事官は様々な案を披露して,推進・普及に努力していることを語った。むしろ,その語りの向こう側の奥歯に挟まっていた物は,文部科学省ひいては日本の教育が取り囲まれてしまった様々な「政治問題」だと思われる。
もちろん情報教育分野も,今度の「教育3法」云々は無関係じゃない。むしろ情報化に向けた様々な動きを法律などによって明文化する好機となっている。だから,法律が可決されることを良くも悪くも待たなくてはならない。いわば足踏み状態なのである。可決されれば,ヨーイ・ドン!と勢いよく走り出せるかも知れない。
日本の教育の情報化は足を取られ続けて遅れに遅れてきた。けれども,別の文脈から見るとこの「遅れ」は災い転じて福となるが如く,情報機器の進歩や激変の影響を最小限にしてきたともいえる。
パソコンOSは,あと数日でWindows Vistaの時代に突入する。古いパソコンと新しいパソコンの互換性や連携の問題などいろいろあるが,少なくとも教員1人1台支給のパソコンはVista対応パソコンで統一されるという点ではタイミングがよい(リナックスになるのでは?という可能性も残るが…)。
液晶プロジェクタの性能向上や価格低下もどんどん進み,本格導入するには十分な水準になってきた。もう少し待てば,さらに使い勝手の向上が期待できるだろう。そういうものが教室に入った方が楽である。
インターネット周辺の(Web2.0に象徴されるような)リソースやソフトウェアなども充実してきた。ほんの数年前は,グーグルさえ日本人にとって馴染みがなかったのである。そう考えると,ここまで引っ張ってきた甲斐があったというものだ。
日本の学校教育が,MS-DOS以前からパソコンの教育利用の可能性を気にし続けていたにもかかわらず,ずっーと禁欲的に対応し続けた末,気がつけばパソコン界隈は大変リッチになっていたのだから,これは一種のご褒美である。その分,教育現場が学ばなければならないこと,準備や配慮しなければならないことも膨大になってしまったのが厄介だけれども…。
実際,いろいろな流れが寄り線になって教育の情報化が進められているので,パッと見がよく分からないのである。また近いうちに英国のICT施策の周知手法について概観してみたいと思うのだが,素人にも大黒柱の姿が分かるようになっているのね。日本は関係者じゃないと,何がどことどう繋がっていて,それぞれ何に向かって走っているのかがわからない…。
結局,国民の眼とか国籍の違うの人々の眼を意識しているかどうかの違いなのである。だから,それぞれが好き勝手に研究会開いたり,プログラムつくったりしているようにしか見えないのである。繋がっているのは何かというと,誰それ先生が関わっているとかそういう人ベースの重複。その証拠に,日本の情報教育に関して交わされる会話のほとんどは「○○先生の情報教育プロジェクトで〜」とか「○○先生にご指導いただいている〜」とか「○○先生に声をかけられた〜」という風に人が主語なのだ。普通の国民は,誰それ先生を普通は知りません。
一方,主語が組織や団体ベースになる場合,ほとんど「文部科学省」が主語になってしまって,個別の主題が曖昧化してしまい分からなくなってしまう。そして文部科学省集権体制のために,せっかく様々存在する公的機関や研究プロジェクトも国民からはほとんど見えなくなる。そのうえ,文部科学省絡みのルートには,教育委員会制度など問題が山積。こんな状態で何か一つのことを通そうと思っても,通らないのは当たり前かも知れない。
話が拡散したが,研究成果を活かせるかどうかという問題は,情報教育の推進の仕方にも疑問を投げかけている。少なくとも関係者にだけ分かっていて,一般人には全体像がつかめないような現状で,教育の情報化が前進するとはとても思えないのである。注目を集めるのは,トンチンカンな七つの提案(24の小項目!)っていうのだから,コンセンサスが得られるわけがない。
もっと周到な喧伝戦略を練るべきである。それは情報教育という領域に限らず,学校教育そのものについて(保護者マニュアルみたいな発想も含めて)様々な手段を使ってプレゼンされなくてはならないと思う。マスコミ任せではなく。
フォーラムが終わって,アンケートを書いていたら,また一人会場に残されてしまった。知っている方々がいなかったわけでもないのに…,どうも皆さんと行動波長が合わないらしい。同じ波長の人間がたくさんいても意味はないと思うし,逆に違うから広がりがあると信じたいが,こういう場面に遭遇すると「疑問に思っている私の方が間違っているのか?」と戸惑ったりする。 たぶん,そうなのだろうけれど…。
ああ,やっぱりわたくし,迷子かも知れません。
ああ、ものすごくわかるような~(会についても自らを省みても)
色々と違和感を感じていたので~しかし書けない~またご飯でも~
投稿情報: はっとる | 2007年1 月27日 (土) 21:36
じっくり拝読しました。たくさんの示唆に満ちた指摘、うんうんと思いながら読ませていただきました。
会や事業の実際の持ち方と、結局どういう方向に持っていきたいの、持っていけるのってのは、往々にして、ズレがありますね。それにしても、それぞれの人たちは一生懸命にやっているし、その結果もすばらしいのだけれど、何でそうなるのでしょうね。
結局だれが責任を持って、この国の方向を出していくのか。そのあたりの議論をどうするのかってことのような気がします。
投稿情報: たなぽん | 2007年1 月28日 (日) 00:20