そのたび憶えていようと思うのだけれど,自分が過去どこで誕生日を迎えたかは,意外と憶えていないものである。先日,東京に出てきて初めて誕生日を迎えた。
何の変哲もない一日。確定申告の書類作成のために,散らばった源泉徴収票等を探し集めていた。歳の数値は増えたのに,申告の数値は減っている現実は,滑稽なドラマを演じているようにも思えた。
国税庁のサイトにある確定申告書の作成サービスを利用して計算をチェックする。せっかくだからPDFで出力されたものをそのまま利用することにしよう。今年も収入があるなら,来年,電子申告に挑戦してみよう。
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そうやって家の中に閉じこもって夕方。このまま誕生日が終わるのも寂しいので出かけることにした。書店に寄ってみるが,こんな日に限って刺激を受ける本も雑誌も見あたらない。
それでも時間だけは過ぎて夜。そろそろ家路につこうとするが,夕食をどうしようかと思う。自炊するか…。ぼんやりそう思いながら家に向かうが,途中で思いつく。「そうか,今日は祝いの日だ。世界のやまちゃんへ行こう」
珍しく酒を飲みに行くことにした。生ビールと幻の手羽先二人前とトマトスライス。ただひたすら手羽先に食らいついていた。たまに昔のことを思い出したりした。そして今後のことを考えてみたりした。けれども,これから何がどうなるかなんて,まるきり分からなかった。
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教育学部を受験するため高校の内申書をもらいに,今は亡き高校の恩師に会いに行ったとき,先生はこんな風なことを言った。「お金と女には気をつけなさい。教員はこの2つに気をつけないといけない」
短期大学の教員になったときは焦った。この2つがワッと押し寄せてくるのだから…。幸い,どっちとも距離は遠かった。むしろ気をつけるとしたら自分自身の浅はかさだった。
その証拠に依願退職をした。任期でも何でもないのに自分から飛び出した。このご時世で,あんまり賢い選択ではないな。冷静沈着な人間であったなら,もう少しマシな異なる方法を選択するものである。かくして私は冷静沈着ではなかったのだ。恩師が「自分自身に気をつけろ」と付け加えていたなら…。(注:ここ笑うポイント)
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手羽先を食べる私の向かい,衝立(ついたて)越しの席に男女がやって来た。顔は見えないが手元は見えるという衝立の向こうで注文が始まり,しばらくして二人ともタバコを吸い始めた。なんてこった,せっかくの手羽先三昧の雰囲気が,一発で台無しじゃないか。
タバコの害についてのビデオ教材編集に関わったことを思い出した。タバコは百害あって一利無し。そう昔から教えられているにもかかわらず,なぜ人々は平然とタバコを吸うのだろうか。
でもそれは,私が祝い事に手羽先を食べたいと思う気持ちと,どこが違うというのだろう。手羽先ばかりの夕食が健康的でないのは明らかである。それでも手羽先三昧を欲したのは私ではないか。
吹けば飛ぶような人のモラル。それが私たちの現実。だからこそ,徒労にも思えるかも知れないが,モラル教育を繰り返し繰り返し続けていく必要があるとも言える。けれども,それを担うことはますます難しい時代にもなった。
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もうじき大学院が始まる。案ずるより産むが易しかも知れない。内田樹氏も書いていた。教育や研究は,これから得るものが分からないからこそ成立するものだと(ん?そんな風には書いてないか?)。
きっと「分かっていなければならない」という強迫観念に翻弄されているのかも知れない。少なくとも教員として過ごしてきた日々は,そう振る舞うことが求められていた。
いまから「分からないです。だから調査・研究するんです」と素直に思えるようになれるかどうかが,私の課題なのかも知れない。初心,忘れるべからず。
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生ビールと手羽先を一つずつおかわりした。向かいの男女もタバコはやめて食事を楽しんでいる。そう,こんな感じでいい。とりあえず,今夜はこんな感じで過ごせればいい。
きっと目まぐるしい未来がやってくる。そのとき,私は思い出すだろう。東京で初めて迎えた誕生日,生ビールと幻の手羽先とトマトスライスを食べて過ごした時間のことを。今までの出来事とこれからの出来事の狭間で漂うことの出来た,何の変哲もない一夜のこと。懐かしく思い出すのだろう。
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