東京は一足早くに桜満開となった。春の訪れを感じながら上野公園にある桜並木を歩く。
かつて同僚と3人で歩いた思い出の並木だ。3人とも職場を離れて新しい場所で頑張っている。複雑な思いがないわけではないが,結果的には良かったのだと信じよう。
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前職でお世話になった先生が来京。別の大学に移ったあとも私たちを可愛がってくださっている。「あなた私の息子同然なんだから」と焼き肉をご馳走していただいた。思い出話など,いろいろとお話をする。
時代の移り変わりを語るとき,私たち若い世代は何を引き受けることができるのだろうかと考えてしまう。高齢社会,団塊世代の大量退職など,シニア世代の存在は今までにないほど注目を集めている。元気なうちはいい。けれども,衰退していく体力や気力という現実は,私たちが考えている以上に辛いものかも知れない。若い世代は,それに辛抱強く付き合うことができるのか。あるいはそんな話はたんなる杞憂なのか…。
美味しい焼き肉を堪能。いや,ちょっと食べ過ぎた。とにかく幸せをいただいた。
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翌日,W先輩と待ち合わせする駅へ。打ち合わせの仕事を終えて向かうと聞いていたが,いつものスタイルで待ちかまえてらした。さすが,何があろうとゴーイング・マイ・ウェイなところは先輩らしい。
在学時期が重なることはなかったが,出身大学の直属の先輩ということで,いつも気にかけてくださる。この頃の駄文が暗い雰囲気だったことも心配してくださっていて,会ったら「意外と元気そうでよかった」とのこと。
やはり思い出話を含めて,今後のことなどいろいろ助言していただく。学術作法の修行不足について,しっかりと指摘されながら,この機会にしっかり身につけるように励まされる。気が多いという私の欠点もよく分かっていらっしゃる。
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いやはや先輩と話すと何より,この「教育らくがき」というブログを読んでいる人達の存在を聞かされる。遙かにスマートな人々に読まれるというのは,光栄でもあるが,私の浅はかさを見透かされていると思うと複雑な気分でもある。皆さん優しいから何も言わないが,「そりゃ違うでしょ,りんさん」と言いたいときも多々あろうことは,長らく駄文を書いていて不思議と空気が読めるものである。
果たしてこんな駄文を今後も続けるべきかどうか。もっと理性的で,論理的で,確固とした根拠の基づく,健全な学術ベースの教育議論を目立たせていくことこそ大事なのではないか。そうも思う。
とはいえ,あえて止めるとも続けるとも決める気はない。もはや駄文を書き続けて10年以上である。そのときが来たら,「ハイそれまでヨ」と消えればいいこと。
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「りん,わるいな,言い過ぎて」なんて先輩はいつものように温かい目で告げる。歳をとれば叱ってくれる人はどんどん居なくなる。そう思えば,その「言い過ぎた」言葉は有り難い。
すっかり酔っぱらった先輩を一晩泊めて,翌朝もあれこれ語らう。昼食後,先輩と別れてから上野へ。桜並木を眺めながらゆっくり歩く。天気も良く,骨董市なども開かれて公園は賑やかだった。
春,これから始まる物事に心馳せる季節である。
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