不思議なことは起こるもので,そんな出来事をきっかけに,感謝することの大事さを思い出すことがある。今朝もそんなことがあった。
ここ数日,憂鬱な気分の連鎖に陥っていた。自分でも何故だか分からないが,物事がうまくかみ合わないことが続く。なるべく新しい環境に対して従順でありたいと思うが,下手に歳もとったから周囲に対してある種の威圧感を抱かせるのかも知れない。本当に場違いな迷い子になっちゃったかなぁと,悩まないといったら嘘になる。
その上,いくつかの予定がキャンセルされて寂しい気分になる。残念な出来事は束になってやってくるなぁと,さらなる憂鬱にはまりかける。
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そんなところに,一本の電話。前職でお世話になった先生から「東京に行くから,今夜飲もう」とお誘いがあった。ああ,有り難い。想いは遠方より来たる。
明日は学部の先輩が東京に出張されているので会うことになっている。いつも遠くから私のことを気にかけてくださっていることに改めて感謝。
来年度からお世話になる指導教官の先生も,お忙しいのにかかわらず時間を取ってくださり,的確な意見やアドバイスをしてくださる。周りの皆さんも,仕方は様々とはいえ,案じてくださっているのだろう。有り難いことである。
駄文をお読みになっている皆さんや家族からも,慮りを受けていることを見落としている自分がいた。どうしてその事をたびたび忘れてしまうのか。まだ意識の鍛錬が足りないのか…。精進しないと。
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こんなとき思う。人の視野の持ち方や感謝の気持ちに対する持続力について。高校時代,仏教系の学校だったこともあり般若心経を繰り返し唱えていた。卒業後もたびたび思い出して唱えてみたりしていたが,最近はすっかりその機会がない。深い理由もなく寂しいことかなと思う。
特定の宗教に縛られているつもりはないが,そういう経験から,何かを無心に唱えるとか,何かを拠り所にするということについて,あれこれ考える機会は多い。
有り難い出来事をきっかけに,見失っている想いや幸せを探してみるのはいいことだと思う。一方で,不機嫌な自分を抱えることがあっても,それだけじゃならないのは,たぶんこの点ではないかと思うのである。
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