なかなか更新もできず(いや実際には何度も試みようとしていくつも下書きを書き出していたけれども書き上げるには至らず),日付はいつの間にか6月。有り難いことに,賑やかな毎日を過ごせている。
大学院生ゆえに履修すべき単位もあって,今年1年はそれが結構ある。そして今週はゼミでの定期研究発表の担当。先行研究のレビューが宿題だったので,その進捗を報告しなければならなかった。さらに院生として研究プロジェクトを手伝うものと,研究者の端くれとして共同研究する仕事の定例会など,「賑やか」との表現に値する日々なのである。
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それにしても先行研究のレビューをやり始めて,この10数年に起こった研究環境の劇的変化に正直,面食らっている。いやはや世界は変りました。
10年前に教育学の修士論文を書いたときには,先行研究や文献検索は図書館に出かけて,図書索引カードをめくるか,ぼちぼちweb化された検索端末で検索をするくらい。それも大概は書籍単位までで,論文単位での検索方法は統一されていなかった。だから大学図書館の理想は,蔵書が1カ所にまとめられていて,よく整理された書棚の前を闊歩して,資料を渉猟できることだった。資料との出会いさえロマンスになりうる,そんな世界の延長線上だった。
その後,webはさらに普及し,googleの登場で象徴される検索の時代が到来。私たちが当時ERICでかろうじて体感した論文検索の世界が,とうとう日本でもCiNiiによって可能になったのである。
キーワード打ち込んだら関連する論文タイトルがずらずら出てくる。このなんてことはなさそうな作業は,理系畑の人々にとってはともかく,文系畑にとっては衝撃的である。なにしろ,公開処理された論文はPDFファイルとしてそのまま表示され,図書館いらずになってしまった。大学図書館のスペースに蔵書を集める苦労をせずとも,webのボタンから中身を確認できるようにするだけでよいのである。資料との出会いはマッチングシステムでもたらされる,そんな世界になった。
そのことで先行研究をさらう作業が飛躍的に楽になったかというと,そういう面もある一方で,検索して出てくる何千件ものタイトルを1つ1つ精査なり吟味していく作業が必要になってきた。キーワードによる検索は必ずしも万全ではないし,無関係なものや分野違いも含まれる。注意深い検討が必要だ。
それでも,手作業で探していた時代に比べれば,情報収集量は格段に多いし,それだけ過去の財産に光が当たる可能性も高まるのだから,喜ばしいことだと思う。
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というわけで,この数週間はその検索結果とにらめっこする日々もあったし,いろいろな行事に関わったり,お仕事の会議に出かけたり,小学校にもお邪魔したりと,駄文を書いている余裕がほとんど無かったというわけである。
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今日のお仕事では,日本の情報教育の黎明期を支えられた先生方と一緒になった。70代のお二人は,すでに第一線を退かれてはいたが,とてもお元気で,20年前の情報教育や学習ソフトウェアの思い出話をいろいろ語ってくださった。「あのときはFM-TOWNSでやってたんですよ,ははは」と懐かしい商品名がちらほら出てきて,私自身も記憶を巻き戻すことになった。
今日の教育界は,そうした上の世代の方々の目にはどう映っているのだろうかと,こんな機会に考える。あなたならどんな風に想像するだろうか。
そして私が歳をとったとき,この世界をどう見るのだろう。私も「パソコンの文字は細かくて困る…」なんて嘆いているだろうか。「自分の努力もまんざら悪くなかった」と思えているだろうか。
「若い人達に頑張ってもらわなきゃ」,70代のお二人は,にこやかにそんな風なことをおっしゃった。そう言われて,たまに自分が同じセリフを口にしていることを少し反省した。とにかくやるだけやろう。
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明日は内田洋行が主催しているNEW EDUCATION EXPOに出かける。去年は初めて父親と一緒に参加したという印象深いEXPOだが,今年はなぜか企画に登壇することになってしまった。こういうことで恩返しや貢献が出来るのであれば,断る理由がない。(あ,でも生活費稼ぐためにも仕事大歓迎か!感謝感謝!)
かくして,私の徒然な日々は周りの皆様のおかげで本当に賑やかに進行中であり,もうちょっとそれぞれが形になったらあれこれ駄文も書き連ねようと思っている。
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