情報モラルに関する議論を考えるとき,対である日常モラルについても考えるべきなのだが,これを閑却してしまうことが多い。つまり道徳の授業をイメージして,了解したような感覚に浸って済ましてしまうのだ。
Yahoo!ニュースの意識調査「日本の教育が最初に取り戻すべきものは?」は,誰が答えているのか母集団がわからないという欠点はあるものの,世間の考えの一端を覗ける。学力やゆとり,教師の指導力などの選択肢の中,現時点で一位は「道徳」だという。
道徳を取り戻す?それはなんだろう。
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このような意識調査アンケートで「道徳」を選んだ人たちの心理を想像してみると,いつの世にも嘆かわしく取り上げられるモラル低下や一般常識に対する無知,人々の横暴さに対する懸念を抱いているのではないか。
しかし,こういうものは日本の教育が取り戻すべきものなのか?と改めて問われたら,私はその具体的な取り戻し方や戻したときの様子を想像し難い。今以上に道徳的な教育とは何なのだろう。
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たぶん人々が求めているのは,「道徳」的であるというよりも「謙虚」であることみたいなものではないだろうか。他者の尊重は,道徳のお題目の一つではあるが,それを意識的にも無意識的にも実践できるようになるには,どうしたらよいだろう。まさか,従来の道徳授業を拡充したり,なんとかノートの配布で事足りると思っている人はいまい。
直接的な解答にはならないかもしれないが,「道徳」をいったん捨てる必要があるかもしれない。そのかわりに「哲学」を深めてみてはどうだろう。物事に対する畏敬の念や自己への懐疑などは,日本の教育で暗黙に学ぶような事柄であった。それを哲学という形式知として触れさせてみるなら,教育に繰り込む方法は見えやすい。
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そうなったらなったで,教育に取り戻すべきものは?という問いに対して「教師の指導力」と答えたくなる衝動は,ますます増えていくということになるかもしれない。
教師の指導力ってなんだ?そういう安易なキーワードに対する問い掛けができるかどうか。それが哲学だし,やはりこの国には,そういう素養を深める動きがまだ弱い。
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