集中講義最終日。今年もあっという間に終わった。ダラダラと講義をし続けるスタイルは,しゃべる方も聴く方も疲れがたまってしまうので,毎日なにかしらワークを取り入れて,物事が構成・構築される楽しさや難しさを体感してもらった。
外部の非常勤講師が担当する,夏休みの集中講義で,どこか片隅でひっそりと開設されているような枠だから,自由に授業構成させてもらえていると思う。もちろん「お遊びが過ぎる」と眉をひそめられるのかも知れないが,たった4日間の授業が学生達に何かしらの知的インパクトを与えるには,それなりにトリッキーな授業展開があってもよいだろう。その代わり,私が語る教育のお話は,(ここの教育駄文でお馴染みの)それなりにシビアなものである。ときどき自分は若い芽を摘んでいるんじゃないかと不安になるが,それを乗り換える気概をもって教職に望んでほしいと願う。
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1930年代や40年代のカリキュラムデベロップメント運動が,カリキュラムプランニングとカリキュラムデザインに分岐していったという歴史は,カリキュラム研究の幅広さを象徴している。それは「工学的接近」と「羅生門的接近」という言葉にも対応していて,両者の往還をどのように実現していくのかはいまだもって大きな問題である。私もまた,私なりの方法を見つけてこの問題に切り込むことになるのだと思う。
学生達が現場に立つとき,この大きな問題は,日常の中の教育実践という問題として立ち現れる。そのとき手助けになるものは,ある程度はチェックリストの類かも知れないが,そこのもう一歩奥で,私たち自身の身体性や歴史性が控えていることになるのだと考える。そこへほんの少しだけでもくさびを打つことが出来れば…,私が担当する集中講義「カリキュラムデザイン」はそんな思いに立脚している。
それが教育者としての私の立場だけれども,研究者としてはあんまりよろしくない考えなのが玉に瑕である。あ〜。
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今年の受講生も頑張って取り組めていたと思う。ただ,反応が控えめな子達が多かったので,授業途中の私の不安は結構大きかった。あんまり面白くなかったかなと反省していると,コメント用紙では「とても面白かった」と書いてあったりする。もう少し丁寧に学生の様子を見ないといけないなぁと思った。
さてと,今年の出稼ぎもこれで終わり。どこか別の非常勤を加えてやってみるのも悪くないなと思った。それより大学院での研究と次の定職探しを真剣に考えた方がよさそうか。とにかく,再び東京へ。
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