名古屋での集中講義を終えて,東京に戻る。すぐさま(大学院の)授業課題でもあるワークショップ準備に取りかかっていた。休む暇なく役割を代えなくてはならないので,なんだか変な気分である。
ワークショップ(WS)の本番前に必要なプレ実践を行なった。少人数ではあったが協力者の参加を得て,なんとか一通りのプログラムをこなす。あれこれ手直しが必要な部分が見つかり,これから本番に向けてさらに作業を重ねなくてはならない。
どんなWSをするのかは,詳しくは後日ご紹介したいが,「思い出」に関して何かをしようとするWSである。そのWSの参加者に向けて冊子をつくろうと考え,久し振りに編集作業をしていた。InDesignというソフトでページレイアウトしていく。昔,職場で手引き書みたいなものをつくったときも,このソフトでああでもないこうでもないと作業したことがある。それも懐かしい。
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WSの冊子に「社会の出来事年表」を載せることになったので,『情報の歴史』(NTT出版)というその筋の年表本では有名な本を参照したり,インターネット上の情報を合わせて作成した。1950年から2008年まで,ずらずらっと主要な出来事や当時流行った歌やテレビや映画が並ぶ。
年表がキレイに出来上がって,まじまじと眺めていたら,自分が結構長く生きてきたことを再確認することになった。当たり前のことだが,いま大学院で一緒になっている人たちより10年くらい余計に時代を体感している。そのわりには,キレイさっぱり忘却の彼方へと追いやっているみたいだ,ははは…。
歴史に学ぶことと,時代に固執することとは違う。けれども,私たちはどこかそれを上手く処理できていないのだ。ある種の金言名句を尊ぶことが乱世においても確かな道理だと考えることは悪いことではないのだが,変わりゆく世の変わり果てた私たちを思うとき,その言葉を今日の葛藤と合わせ置かずに唱えることは,ご都合主義になりかねない危うさがある。
本当に時代の上っ面しか触れずに生きてきたのだなと,自分を思うことがある。本質的に消費社会万歳な人なのだ。デパートは大好きな場所の一つである。モノに溢れている,この世のなんと幸せなことか。年表を振り返り,懐かしい消費の象徴たちと再会して胸が躍る。そういう幸せな世界が続けばいいなと願う。
そう願う以上,続かない現実を認識しなければならない。
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冊子づくりも一段落したので,次なる仕事に着手しなければ。過去のテレビ番組を振り返る仕事とか,学会の発表準備とか,合宿での発表の準備とか…。賑やかな夏である。それにしても暑い…。
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